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Highlighting JAPAN

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日本の世界遺産

より高き道、より深き思索(仮訳)

ユネスコ世界文化遺産に指定される一連の霊場と巡礼道の一部をなす高野山の僧となったスイス人が外国からの訪問者に道を照らす。

奈良、和歌山、三重にまたがる紀伊山地には、巡礼の道で繋がれた三つの聖地がある。吉野・小峰、熊野三山、そして高野山だ。千年以上に渡るその歴史と仏教と神道の思想の独特な融合により、これらの聖地のいくつかの建築物やそれを結ぶ巡礼道の一部は2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。

高野山は和歌山県の8峰に囲まれている。真言宗の開祖である空海がその信仰の里を築いたのは816年。今年2015年は高野山の創始1200周年にあたる特別な年だ。

真言宗の本山の拠点である「金剛峰寺」や、壇上伽藍、空海が眠る「奥の院」に続く森に囲まれた道には真言宗の僧たちが色鮮やかな装束に身を包み、伝統的な下駄をはいて足早に行き来している。その中で明らかに白人の風貌をした僧がひとり、町で地元の人々や外国からの観光客とドイツ語、フランス語、英語、イタリア語、そして日本語で言葉を交わしているのを目にするかもしれない。この5カ国語を操る僧はスイス人で、18年前に高野山にやって来て仏僧となったクルト・クーブリ厳蔵氏だ。

自らの信仰の道を極めることと、慈善活動に協力すること以外に、厳蔵氏は高野山を訪れる欧米からの訪問客にその歴史的な地を説明することに多くの時間を費やす。彼はまた、高野山についての講演を日本各地や外国でも行っている。2008年、国土交通省は彼の功績により厳蔵氏を「Yokoso Japan大使」に任命した。この栄誉について、彼は「宣伝坊主」と自らを揶揄する。

訪れる者に過去の時代を見せる他の世界遺産とは異なり、厳蔵氏はユネスコに認められた高野山の一部は「生きた」文化遺産として認識されていると説明する。「高野山は単なるモニュメントではない」と彼は言う。その歴史は古いが、過去12世紀にわたって寺の建物のいくつもが火事で消失している。今残っているのは再建されたものだ。(実際、1644年には1865を数えた寺院は現在では100ほどにすぎない)厳蔵氏は高野山を「ひっきりなしに何かが起こる舞台」に例える。早朝の儀式はすべての寺で毎日行われ、伝統行事も金剛峰寺や壇上伽藍、奥の院で年間を通して頻繁に執り行われている。

「高野山には建物と自然の調和がある」と語る厳蔵氏の指す方向には、そびえ立つ杉の木の枝からふりそそぐ鳥の声とヒグラシの声の中にたたずむ苔に被われた屋根を持つ木造の寺がある。豊かな自然の造形と歴史的な建造物は、時折の鐘の音によって区切られる僧たちの読経の声が響く聴覚の景色と調和している。

厳蔵氏が住む寺「無量光院」はこのあたりで宿坊を提供する約50軒の寺のうちのひとつだ。訪問客たちはここで一夜を過ごし、精進料理(伝統的な仏僧の菜食料理)を食べ、朝のお勤めに参加する。日本の文化に触れ、高野山の精神性を経験することができるこの機会は、最近外国からの観光客の人気が上昇しているもののひとつだと厳蔵氏は感じている。2004年、高野山には年間4000人の外国人客が訪れた。今はその10倍の人が訪れているのではないかと厳蔵氏は見る。

厳蔵氏は、「ここは世界でも数少ないスピリチュアルな場所のひとつ」だと言ってはばからない。「心が変わる。観光客として訪れた人々は、巡礼者として帰路に着くんです」。日本人にしろ、外国人にしろ、高野山では他にない体験をすることができると信じている。




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