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Highlighting JAPAN

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なぜここに外国人

人生のステージ(仮訳)

能研究家で能役者でもあるディエゴ・ペレッキア氏は、日本の伝統芸能の本質を探るべく、イタリアからやって来た。

様々な国籍を持つ6人の若者たちがImpact Hub Kyotoにある使い古された木製の舞台の上で正座をし、能楽堂の必須モチーフである色あせた日本の松の木の絵画がその背景を飾っている。能研究家のディエゴ・ペレッキア氏は、まばゆい黒と銀の着物を身に纏い、僧侶の容貌を彷彿させる剃髪された頭で、半円の中央に座っている。この格好は、能と仏教や儀式との密接な関係を考えると相応しいものである。ペレッキア氏は、深く鳴り響く詠唱で声をあげ、彼の周りに集まった愛好家たちに能の節を披露している。彼らはペレッキア氏の発声や調子を模倣し、練習を重ねていくうちに、どんどん調和していく。

生徒たちは能の最初の動きをする。ペレッキア氏は歩き回りながら、腕はここ、扇子はそこと位置を直していく。これらの練習生はまだ、能特有の凝った着物や厳しい顔つきの仮面といった衣装は着けていない。衣装を身につけながら演じるには、信じられないほどのスキルが必要なのだ。仮面やかつらを身に着けると、体が慣れるまでは、演者は泡の中にいるようで、意識の焦点は内側に限られ、限定的な視野と聴覚で動きの制御が難しく、高い精神的集中力とその持続が求められるのである。

「外側の空間から隔離され、自分のバランスに頼るしかありません。」と、ペレッキア氏は説明する。

ペレッキア氏が能という伝統芸能に初めて興味を抱いたのは、彼が故郷の北イタリアにあるブレシアに住んでいた頃だった。彼はシェイクスピアに関する論文を書いており、マクベスと能の飾らない美学を取り入れた黒澤明監督の映画『蜘蛛巣城』に出会ったのである。その当時、ペレッキア氏は日本文化については何も知らなかったが、その映画との出会いが転機となった。さらに調査を進めていくと、金剛流師範のモニーク・アルノー氏がたった1時間離れたミラノにスタジオを持っていることを知った。ペレッキア氏は彼女に会いに行き、練習を始め、すぐに日本の秘伝的な演劇様式と、自分の体に意識を集中する技法の虜になった。

「それは瞑想的で、その構成要素は多くありません。しかし、それらはとても濃密でとても洗練されています」と、彼は語る。

2年間アルノー氏のもとで勉強を重ねたが、ペレッキア氏は実際にそれが「生」で演じられるところを見たことがなかったので、発祥の地で能を体験するために日本へとやって来た。京都では、金剛能の師範であり国際能楽研究会 (INI) の設立者、宇高通成氏と出会った。訪問したのは宇高氏の60歳の誕生日公演の日にあたり、ペレッキア氏は宇高氏の功績を称える公演に出たのだ。そこで刺激を受け、能専門の博士号を取得することを決意したのである。ペレッキア氏はイギリスと日本それぞれで研究に時間を割き、2011年にロンドン大学のロイヤル・ホロウェイから博士号が贈られた。

彼は2012年に、宇高氏のもとで弟子を続けるために、京都へと移り住んだ。月に2~3回の師範との稽古に加えて、特に日本国外で依然として相対的に知られていない芸術形態に関する情報を広めることで、能に対する彼の熱い思いを伝えることに懸命に取り組んでいる。彼は講義を行い、学術論文を発行し、INIの副理事として活動を行っている。また、彼が初めて能に出会った時に感じた興味・関心のような火付け役となることを願って、能に関する英語のブログを持ち、Impact Hub Kyotoで行ったようなワークショップを開催している。彼の取り組みが能という芸術様式の再活性化に役立つことを願っている。

「人々に来てもらうように多くの努力をして、扉や窓を開けることが重要です」と、彼は語る。「私が思うに、能には多くの窓がありますが、開かれていないものもあります。新しい庭に面した窓、それはおそらく日本の庭ではなく、イタリアの庭あるいはイギリスの庭なのかもしれません。しかし窓を開くことによって、外にいる人は家の中を見ることができ、家の中にいる人は、外を見ることができるのです」。

清々しい青竹に囲まれた庭から、お香の独特な香りが緑茶や古い木の香りと混ざり合い漂ってくる。その集団は舞踊へと移り、ペレッキア氏が繊細で微妙な動作をやってみせる。生徒たちは集中力を高め、ゆっくりと弧を描きながら、堂々と動作を行う。今回はまだ2回目のワークショップだが、すでに彼らの立ち振る舞いは美しく、彼らが真剣に精神を集中させて練習に打ち込んでいることがわかる。



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