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Highlighting JAPAN

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地方の魅力発信

新しいお酒が小さな町に大きな夢を与える(仮訳)

長年にわたる挑戦の結果、現在町の代名詞になるまでに成長した清里町のジャガイモ焼酎の軌跡を追う。

東京、大阪、神戸。文化施設やナイトライフ、そしてそのエネルギッシュなさまは多くの人々を魅了する。だが小さい町も人々を魅了する力があり、都会の人を惹き付けようと力をつけている。

ユネスコ世界遺産である北海道の知床国立公園と阿寒国立公園の間にひっそりと位置する清里町の強みは、ジャガイモをはじめとする農業だ。

日本の農耕地の4分の1を占めるこの北の大地にとって農業はもっとも重要だ。森や山が点々とある広大な景色は、まるで雄大な大地の市松模様である。これだけを見れば清里町は一般的な北海道の町に見えるだろう。だが普通と異なるのは町中よりそう遠くない草原の田舎道を添った所にある蒸留所だ。ここは日本で唯一行政が運営する焼酎蒸留所として知られている。

1975年に町役場の職員たちは「ジャガイモを他にどう活用しようか」と自問した。ジャガイモの違う活用法を模索していたが、清里町のジャガイモは高デンプンであることからデンプン加工以外にあまり使い道がなく、悩んでいた。清里町の蒸留所の主任審査官である松浦聡氏によると、話題は「清里町から約100km離れた場所にジャガイモから工業用アルコールを造る町があるらしい」という話へと変わり、これが答えとなったという。

世界中でライスワインとしても知られるお米から醸造された日本酒は有名だ。だが、同じくお米から造られる焼酎という蒸留酒はさほど有名ではない。また焼酎はお米だけでなくさつま芋からも造られる。「日本語ではジャガイモもさつま芋も両方『芋』で終わる。同じ『芋』であるならば、ジャガイモで焼酎を造るのはどうか?」と当時の担当者は考えた。

初めに職員たちはジャガイモ焼酎を造り、清里町を代表する特産品にしたいと考えた。お土産は日本では大きな商売であり、地方の名物を人々に知ってもらう役割を果たし、日本の贈答文化にも相応しい。特に飲食物は友達、家族、会社の人々へのお土産として人気であるため、観光客によってたくさん購入される。清里町の職員たちは、珍しいジャガイモ風味の焼酎は町の話題づくりにもなるだろうと思いつき、日本で初めてのジャガイモ焼酎の製造に取り掛かった。そして日本唯一の行政が運営する焼酎の蒸留所が誕生した。

1979年、ついにジャガイモ焼酎が発売された。だが、それは美味しいというよりも意外性のある味だった。グラス一杯ほど味わって珍しさを楽しむだけで、その後も飲み続けることにつながらなかった。職員たちは努力し、愛好者を集められる別格の焼酎を造りたかった。そして何よりも地元の人々を魅了したかった。

「北海道の人は風味が強い焼酎を好まないにもかかわらず、初版の焼酎の風味は強すぎた」と松浦氏が語る。こうして新しいゴールは「ジャガイモの風味を活かしながら北海道の人々に好かれる焼酎」を造ることとなった。

この時点から味は熟成し、まろやかで柔らかい、甘さのある酒となり、地方の珍しいものから、地元の人や観光客の誰もが夢中になれる焼酎へと生まれ変わった。

焼酎自体は年々リニューアルされてきたが、イメージを作り直す時が来た。2013年に東京にある江戸川大学の鈴木輝隆教授によるコーディネートのもと、デザイナーとコピーライター、フォトグラファーの6名のチームが町のブランド改造に乗り出した。

ボトルは洒落たモダンなデザインへと変わり、ラベルも一新した。イメージラベルであった1,547メートル高の清里町の斜里岳デザインは、町の象徴である自然、農業、人をそれぞれ表した3つのジャガイモをモチーフにした上品かつシンプルなデザインへと変わった。2014年秋に披露された完成品は、お酒の棚の奥などではなく、どこに陳列しても恥かしくない高級感が漂う商品となった。そして、売上はデザイン変更後大きな伸びを見せている。

通常小さな町のブランドに対して、これほど考え抜かれた広報素材が作成されることは珍しい。興味を湧かせるその物語は清里町の自然の美しさを描き、同時にこの珍しい清里町オリジナルの焼酎の背景と詳細についての有益な逸話となっている。

このような独特な商品を造るために、揺るぎない意志を持って成功を目指して進んでいくこの町の姿勢は素晴らしい。小さな町でも強い闘志を持ち、町の誇りが革新的な変革へと繋がる。それを知ったあなたはきっとその一部に加わりたいと思うだろう。



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