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Highlighting JAPAN

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水と生きる

生命の水を供給する

AAR Japan [難民を助ける会]が困窮地域に持続的な水をつくる(仮訳)



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安全な飲み水が手に入らず支援の手がなかなか行き届かない地域で人々の命と健康を守るための活動を続ける団体がある。
 
2011年、東アフリカは過去60年間で最悪の干ばつに見舞われた。期を同じくして、ソマリアで続く内戦で難民が国境を越え、ケニアの首都ナイロビから車で8時間ほどのガリッサ郡に流れ込んだ。元々水が乏しく困窮していた地域は、深刻な人道的危機に陥った。

50万人に上る難民を擁するガリッサ郡のダダーブ難民キャンプは、国連難民高等弁務官 (UNHCR) により、世界最大の難民居住地とされている。「地元では冗談でケニアでナイロビとモンバサに次ぐ3番目の大都市だと言われるほどの状況です」と、国連公認の日本のNGOであるAAR Japanのプロジェクトマネージャーとしてこの地域を何度も訪れている五十嵐豪氏は話す。

遊牧経済に頼る現地の人々と難民たちは、トラックで売りに来る高額な水はおろか、井戸からの水を買うお金すら持たない。そもそもハンドポンプ式の井戸の多くは壊れていて使えない。一方地元の村人たちにとっても、無料の水を手に入れるには、乾季で干上がった川底の土を3~4メートルも掘るか、数キロも歩いてタナ川まで水を汲みに行くしかない。こうして集められた水は、下痢や感染症の原因となることも多い。加えて五十嵐氏は、村人が平然と、「子供の頃川に水汲みに行った友達の何人かがワニに食べられたことがある」と語るのを聞いて驚いたという。ガリッサでは水を確保するのは女性たちと子どもたちの仕事だ。

2011年8月、AAR Japanはガリッサ地域で難民や、遊牧経済に頼ることの多い受け入れコミュニティの支援を開始。五十嵐氏はそのプロジェクトの立ち上げスタッフの一員だった。数カ月後、治安の悪化によりスタッフはキトゥイの街に拠点を移すことを余儀なくされる。彼らはキトゥイで4つの水販売所に水を送るための17キロに及ぶパイプラインの建設に着手した。プロジェクトの遅延やパイプの接合部からの水漏れなどの問題を克服し、「ポコポコと音を立てながら、給水場の蛇口から最初に水が出た瞬間は堪らなく嬉しかった」と五十嵐氏は言う。

ガリッサの状況が落ち着くと、AAR Japanは2013年2月に再びガリッサに戻った。2人の日本人現地駐在員と5人の現地スタッフがナディールの村などでケニアの技術者と共に活動し、既存の井戸の修復や新たな井戸の掘削、また新たな給水塔の建設を行った。

町の中心部の市場などで人口が多く稼働率が高い場合、手動のポンプはあまり良くないことがわかった。設置や修繕は簡単だが、壊れやすくもあったので、五十嵐氏いわく「ポンプの故障の繰り返し」に陥った。モーター式のポンプを備えた井戸もあったが、これもまた壊れやすく、もっと深刻なことに、稼働させるには現地の人には高額なガソリンや軽油を必要とした。

ケニア政府は一つのタンクに最大1万リットルの貯蔵が可能な太陽光発電によるポンプを使うことを提案した。より持続性があり、メンテナンス経費も減らせると判断し、AAR Japanはこの方式を取り入れた。

現地の人たちは現在、水だけでなく、時間もセーブできることを喜んでいる。安価な水が近くで手に入ることで、女性たちは日々の生活の中の大変な仕事から解放され、毎日数時間かけて水を確保していた子どもたちも、今では学校に行ったり、友達と遊んだりできるようになった。

ガリッサでのAAR Japanの活動は、給水設備の設置や補修にとどまらない。給水システムを維持管理するには住民の参加が重要だと認識し、AAR Japanは給水管理委員会を作り、衛生知識のほか、水を使用する人たちからわずかな料金を徴収し、それを帳簿に記録して修理費用を積み立てる方法などを指導している。

今回の干ばつは収束したかもしれないが、新たな干ばつや水資源の需要の増大は常に現実のものとなり得る。AAR Japanはガリッサに水が流れ続け、持続的な未来へとつながるよう、その活動を続けているのだ。



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