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Highlighting JAPAN

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特集震災からの学び

震災からの学び(仮訳)

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2011年3月11日に発生した東日本大震災から2年が経つ。日本は長い歴史の中で、様々な災害を経験してきたが、その度毎に、治水、治山、気象観測、避難体制といった防災・減災対策をレベルアップさせてきた。その結果、1940〜1950年代には、年間1000名を超える人命が自然災害で失われていたが、近年は、100名以下に犠牲者は減少していた。そうした日本にとっても、東日本大震災は、想定を越える被害をもたらした。そして現在、その教訓をもとに、日本は新たな防災・減災対策や、復興に取り組んでいる。今月号の特集記事は、様々な震災からの学びを紹介する。

東日本大震災は、マグニチュード9.0の地震と巨大津波の発生により、東北・関東地方の広いエリアにかつてない甚大な被害をもたらした。人口約4万人の岩手県釜石市では、高さ15メートル以上の津波が押し寄せ、死者・行方不明者数は1000名を超え、住宅の約3割が全壊、半壊といった被害を受けている。しかし、このような被害にもかかわらず、釜石の約3000名の小中学生のほぼ全員が無事に避難していた。このことは、「釜石の奇跡」と言われ、大きな反響を呼んだ。

「釜石の子ども達は『釜石の実績』と言っていますね。確かに、自ら努力を重ね、すべき行動をとり、得られた結果という意味では奇跡ではないと言えるでしょう」と片田敏孝群馬大学教授は言う。「釜石では5名の子どもの命が失われているので、私は『奇跡』という言葉はあまり使いたくなかったのですが、今は、子ども達のとった行動を未来に残すために、『釜石の奇跡』と言う言葉を大事にすることも必要かなと思っています」

片田教授は、2004年から釜石市で、地元の小中学校の教員と協力して、防災教育を行ってきた。特に片田教授が子ども達に強調してきたのは、「想定にとらわれるな」、「その状況において最善を尽くす」、「率先避難者たれ」の避難三原則だ。

日本では津波が襲う危険性のある地域では、津波の浸水地域を示すハザードマップが作成されている。しかし、東日本大震災では、多くの地域で、想定していた浸水地域をはるかに超えて津波が押し寄せた。そのため、津波が来ないと思いこんでいた、浸水地域外に住む人の避難が遅れ、多くの犠牲者が出ている。しかし、釜石では、子ども達はハザードマップで安全とされる避難所に留まらず、高台に逃げた結果、津波から間一髪逃れている。子ども達は、まさに、「想定にとらわれず」に、「最善を尽くし」たのだった。

また、釜石では中学生が、津波が到達する前に、「津波が来るから、逃げろ!」と大声を上げながら逃げる様子を見て、逃げ始めた人も多かった。防波堤があるから安全だと考え、最初、逃げようとしなかったある高齢者は、孫から泣きながら「逃げよう」と訴えられたことで避難をし、助かったという。また、「自分の子どもは必ず避難をする」と信じ、子どもを探しに行かず避難したことで、津波に巻き込まれなかった親も少なくなかった。子ども達は「率先避難者」であったのだ。

釜石の中学生には「助けられる人から助ける人へ」ということも、教えられていた。日頃から、小学校との合同避難訓練や高齢者をリヤカーで運ぶといった訓練が行われていた。そして、東日本大震災の時、中学生は訓練通り、小学生の手を取り、あるいは高齢者をおぶって、避難をしている。

「子ども達は自分の命だけではなく、多くの大人の命も救ったのです」と片田教授は言う。「『津波は怖い』と脅かしたり、避難方法の知識を教えるだけでは意味がありません。子どもが内発的に『避難をする』と考え、自主的に避難行動が出来るような防災教育でなければなりません」

片田教授は、こうした防災教育を中南米で広げる活動も行っている。その一つが、国際協力機構(JICA)の実施する「中米広域防災能力向上プロジェクト”BOSAI”」だ(「BOSAIは「防災」を意味する日本語)。片田教授は、現地の人とのワークショップを通じて、津波だけではなく、火山、豪雨、土砂などの災害から逃れる方法、あるいは、災害伝承の重要性を伝えている。

「人間はつらい記憶を忘れ去ろうとします。しかし、そのつらい記憶を教訓として活かさなければならないのです」と片田教授は言う。「今、東日本大震災の生々しい記憶を持っている私たちは、今後の世代のために、津波から逃げるという行動を当たり前のようにする、つまり、逃げることを『文化』として醸成する責任があるのです」

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