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Highlighting JAPAN

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特集心を豊かにする日本のデザイン

日本の伝統デザインの美(仮訳)

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日本人の美意識は、日常生活の様々なものに、デザインとして具現化されてきた。生活する上で基礎となる「衣」「食」「住」の伝統的なデザインにスポットを当てる。佐々木節とジャパンジャーナルの澤地治が報告する。

時代を映す衣服:着物

日本の民族衣裳ともいえる着物の最大の特徴は、その形のシンプルさにある。長さ12~13m、幅38cm位の反物を縫い、身頃(体の前後を覆う部分)、袖に仕立てる。これは生地を人の身体に合わせて裁断し、立体的に仕立てる西洋の衣服とは大きく異なる。一方、シルエットがシンプルなだけに、衣服としての美しさを生みだすには色や模様が重要であり、しかも平面の布地はまるでキャンバスのように自由な絵柄を描き出すことも可能だった。

「ひとくちに着物と言っても、普段着から婚礼衣装までさまざまですが、基本的にはすべて、袖を通して身体全体を覆い、帯で押さえる一枚の布にしかすぎません」と福島県郡山市の日本きもの文化美術館の萩谷けい子理事は言う。「しかも、日本には服装でボディラインを強調する習慣がありませんでした。だからこそ前から見ても、後ろから見ても、色や文様が美しく映えるのかもしれません」

萩谷氏によると、多種多様な着物のデザインのなかで最も多いのは吉祥文様だという。これは鶴や亀、松竹梅といった古くから縁起の良いとされるモチーフをアレンジしたもので、そこには代々の幸福や子宝に恵まれることを願う気持ちが込められている。また、江戸時代(1603年〜1867年)中期以降は染色技術の発達により、江戸名所図絵や貴族社会の絵巻物を着物一面に描き出したり、カラフルな刺繍や飾りを施すことで立体的な絵画のように見える花魁の衣装なども登場した。

江戸時代が終わると、欧米から新たな繊維技術や化学染料が導入され、着物のデザインはさらに多彩に変貌を遂げていく。日本きもの文化美術館が数多く所蔵する大正〜昭和初期の銘仙(縦糸と横糸を交互に交差させて織る平織りの絹製着物で光沢がある)にはアンデルセンの童話をモチーフにしたり、外国の景勝地を描き出した着物柄もある。

一方、1878年のパリ万博を機にヨーロッパで流行したジャポニズムは、ファッションの世界にも大きな影響をもたらした。なかでもフランスのファッションブランド、ランバンの創始者が着物の布地でドレスを作ったのは有名な話だ。こうした動きは現代にも引き継がれていて、着物にヒントを得た直線的な裁断から新たな服飾デザインを提案する有名デザイナーもいる。また、日本の若い女性が熱狂するファッションショーとして知られる東京ガールズコレクションにも2010年から着物が登場。日本の若者の間でも、伝統的な着物の魅力をあらためて見直そうという気分が盛り上がっている。


わび・さびの建築:茶室

日本に茶が伝えられたのは今からおよそ1200年前。もともと貴族や僧侶など特権階級の飲み物だった茶は、やがて武士や一般大衆の間にも広まり、14世紀になると、決められた作法で茶を振る舞う“茶道”が確立されていった。こうした茶道の世界において、重要な役割を果たしていたのが茶室という専用の建物なのである。

日本の茶室に大きな変化が現れたのは戦国時代(15世紀末〜16世紀末)の終わり頃のこと。時の権力者、豊臣秀吉に仕えた茶人、千利休が侘び茶と呼ばれる新たな茶道を作り上げたためである。ちなみに侘びというのは、豪華なものをより引き立たせるために、不完全なものと合わせるという思想だ。

愛知県犬山市の名鉄犬山ホテルにある国宝・如庵も、そうした利休の思想がデザインに色濃く反映している。如庵のある名鉄犬山ホテル・有楽苑の支配人、福田孝美氏は「ひとたびその空間に身を置けば、貴賤や貧富に関係なく、純粋に茶を楽しめることが茶室の一番の特長といえるでしょう」と語る。

それを象徴しているのが、躙り口と呼ばれる客の出入り口。その標準的なサイズは、高さも幅も65センチ前後ときわめて小さいため、どんなに身分の高い人でも跪き、頭を下げなければ中に入ることはできなかったのだ。

露地と呼ばれる小さな日本庭園を抜けて茶室に入ると、まず感動するのは室内に満ちている柔らかな光である。広さわずか二畳半(1畳は約1.6平方メートル)の茶室には5か所の窓が設けてられているのだが、庇や木々、障子にさえぎられて、どの窓からも直射日光は射し込まない。まるで深い森の奥へ入り込んでいったような落ち着いた気分になる。

室内は非常に狭いが、不思議と狭苦しさは感じられない。その理由は、室内の窓の位置を一定にせず、主人が出入りする勝手口へと続く壁を動線に合わせて斜行させるなどしているため。小さいながら、視覚的に奥行きを感じられるよう計算しつくされたデザインになっているのだ。

「手斧で削り出されたままの床柱など、いかにも武家らしい質実剛健さを感じさせる部分がある一方、禁欲的な緊張感さえあったとされる利休の茶室などに比べると、この建物には人をもてなし、穏やかな気分にさせる雰囲気があります」と福田氏は言う。

現在、日本に残る国宝茶室は如庵を含めて3棟のみ。簡素な建物だけに、手入れを怠れば、たちまち自然に還ってしまうのである。ただし、茶室に込められた作り手の思いは、日本の伝統的な建築様式のひとつとして、旅館や料亭、個人住宅などに今もしっかりと息づいている。


季節を味わう:懐石料理

伝統的な日本料理の一つである懐石料理は、現在では一流の日本料理屋で食べる豪華で高価な料理というイメージが日本人の間で定着している。しかし、本来の懐石料理とは、茶道の形式にのっとり、主人が客人をお茶でもてなす前に出す料理のことだ。

「懐石料理は、必要ないものを省いた、必要最小限の料理で構成されています」と京都の老舗料亭・菊乃井の主人、村田吉弘氏は言う。「必要最小限の料理を通じて、客人に季節を感じて頂く、あるいは、海や山で採れるものを食べて頂くことで、頭の中で、海や山に行ったことを想像して頂く。そのように客人が楽しんで頂けるために、私たち料理人は、食材や器を選び、料理をデザインするのです」

懐石料理は一汁三菜で構成される。一汁三菜とは、汁、飯、向付(刺身や酢の物など)、煮物、焼物だ。茶道では、こうした食べ物を食べる順番や作法も決められている。

懐石料理の料理や器は、長年の歴史の中で、日本人にとってもっとも食べやすい、あるいは使いやすい大きさへと定まっている。例えば、茶碗の大きさは、男用が4寸(約12センチ)、女性用が3寸8分(約11.5センチ)。日本では茶碗を手に持って、その中に盛られたご飯を食べるが、これが多くの日本人が持って、違和感を感じない大きさなのだ。また、刺身の一切れの重さは約12グラム。これは、刺身を口に入れ噛んだときに、美味しく味わえる大きさである。

「料理や器を含め、懐石料理とは、いわば人間工学の粋を集めたものなのです」と村田氏は言う。「茶道の様々なルールがあるなかで、美しさと合理性をもった懐石料理のデザインが形作られているのです」

懐石料理では、季節感を出すために、食材の色や器に工夫を凝らす。色は、5つの色(緑、赤、黄、黒、白)を使い料理を彩ることで美しさを演出する。例えば、秋は柚子や栗の黄色、あるいはイクラの赤を使う。あるいは、紅葉した松葉やいちょうの葉を料理に添えるといった具合だ。

さらに、菊乃井では、料理や器に加えて、サービスや店の雰囲気からも季節感が感じられるように心づかいをしている。例えば、店内に生けている花や花器、部屋に掛ける掛け軸、仲居の服装、客が座る座布団を、季節毎に変えるのだ。

「懐石料理は空間芸術なのです」と村田氏は言う。「すべてのデザインに意味があるのです」

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