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連載|やまとなでしこ

東京の夜空を花火で演出(仮訳)

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日本の夏の風物詩と言えば花火だ。日本では花火が打ち上がると「玉屋〜、鍵屋〜」と声が上がる。その鍵屋とは、1659年に、江戸(現在の東京)で創業した日本最初の花火屋だ。創業以来、鍵屋は革新的な花火を次々と発明し、日本を代表する花火屋となった。その鍵屋15代目の当主を2000年に襲名した天野安喜子氏は、鍵屋の歴史で初めての女性当主だ。天野氏にジャパンジャーナルの澤地治が話を聞いた。

──天野さんは、創業から350年の歴史をもつ鍵屋で、初めての女性当主ですが、そもそも、なぜ花火師になろうと思ったのでしょうか。

天野安喜子氏:鍵屋14代目の当主である父親への憧れからです。花火を打ち揚げる現場で、大勢の関係者を束ねる父親が本当にかっこよかったのです。花火師としてだけではなく、自ら開いた柔道場の館長や、学校のPTAの会長としても、父親は多くの人に接していましたが、皆、私の父親に対して尊敬の念を抱いていました。花火が好きというよりも、そうした父親のようになりたいと思い、小学校2年生の時には「花火師になりたい」と言っていました。

私の花火師としての役割は、花火のデザイン、花火の打ち揚げ、音楽や照明による演出、花火の安全性の確保など、非常に幅広いです。

──一方で、天野さんは柔道家としての経歴もお持ちですが、人生において、どのような影響を及ぼしているでしょうか。

天野家では柔道を習うことが一種の決まり事でした。私は中学生で日本代表の強化選手に選ばれ、高校生の時に国際女子柔道選手権大会で銅メダルとなりましたが、残念ながらオリンピックには出場できませんでした。

しかし、1993年に大学を卒業した後、花火師として修行を積みながら、柔道の審判員の資格も取りました。そして、2008年の北京オリンピックの時に、日本人女性として初めて25名のオリンピック柔道審判員の一人に選ばれました。私は様々な国際大会の審判を務めましたがオリンピックは別格です。それは「血を流さない戦い」と言えるほど緊張感溢れる場所でした。花火と柔道は、間合いやタイミングが重要という点で、共通しています。

──日本の花火の特徴は何であるとお考えでしょうか。

夜空に花火が開いた時に、二重以上の異なった色の同心円を作る「芯物」が特徴です。さらに、日本人は、花火一発の芸術性を重んじます。花火が打ち揚がり、大きな音ともに美しい花火が開き、そして、静寂が訪れる。その一発一発の花火を愛でるのです。

私は2003年に大学院に入学し、芸術的、心理的な側面から、花火が人に与える影響を研究しました。花火の観客からアンケートを取り、調査しました。その結果、花火は、視覚的要素(色、形、光)、聴覚的要素(音、リズム)、音楽など様々な要素の組み合わせによって、人々を前向きな気持ちにさせることが明らかになったのです。この研究で私は2009年に博士号を得ました。

──鍵屋15代目、女性当主としてのこだわりはありますか。

2001年に娘を生んで以来、子どもも楽しめる花火を意識するようになりました。例えば、ドラえもんなどのマンガやアニメのキャラクターを花火で表現するといった工夫をしています。

毎年8月に、私の地元である江戸川区花火大会は、鍵屋が1976年以来、花火を揚げています。約140万人の見物客の前で、約1時間15分にわたって約14,000発を揚げます。昨年の東日本大震災後の浦安市花火大会では、鎮魂を込めて、音だけの花火をゆっくり5発、最初に揚げましたが、今年は、前進する勇気をテーマに、音や色も賑やかな演出をしました。

私は、花火の音の演出にも工夫を凝らしています。花火の発射音、空中で炸裂した時の音、花火が消えながら発する音など、様々な音を花火は楽しめます。今後、皆さんが楽しめる「15代目ならではの音」も追求していきたいです。

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