Home > Highlighting JAPAN > Highlighting JAPAN 2012年3月号 > 欧米でも人気の南部鉄器(仮訳)

Highlighting JAPAN

前へ次へ

JAPAN BRAND

欧米でも人気の南部鉄器(仮訳)

English

岩手県盛岡市は、日本の伝統的な特産工芸品の一つにあげられる南部鉄器の中心的な生産地である。時代やそれぞれの市場のニーズに合うように伝統に手を加えている岩鋳の鉄製の鉄瓶やその他の鋳鉄製品は現在、世界中で重宝されている。今回、ギャビン・ブレアとジェレミー・サットン・ヒバートが、岩鋳の鋳造工場を訪れた。

岩鋳は、鋳造工場を訪れたフランスのお茶を扱う業者の奨めを受けて1990年代終盤から欧州市場向けにカラフルな鋳鉄製品を製造し始めるようになったが、その前から100年にもわたり国内市場向けに伝統的な鉄瓶や平鍋をはじめとする鋳鉄製品を製造・販売してきたメーカーである。

何世紀にもわたり日本で使用されてきた鉄瓶は黒色をしていたが、この色は欧州の人々の趣味には合わず人気がなかった。このため、岩鋳は、思うような海外販売をあげることができず苦労していた。そのような状況下、ひとりのフランス人のアドバイスを受けて、岩鋳は、鋳造工場を設立した当時の職人たちが見たら眉をひそめたに違いない、青や赤、そして緑色をした鉄瓶や急須を製造し始めた。また、製品の幅を広げるために、欧州のデザイナーとのコラボレーションにも乗り出した。このような取り組みを開始してから10年以内に、海外輸出は岩鋳の売上高の半分を占めるまでになった。

南部地方(岩鋳の本社がある、現在の岩手県盛岡市)から発見された最初の鉄製加工品は、西暦1100年前後に製造されたものである。しかしながら、今日に至るまで受け継がれている製造手法は、著名な茶道の大家が当時の首都であった京都から南部地方へ移り住み、茶道の人気が広まった16〜17世紀になってから開発されたものである。職人の技が全国にまで広まると、南部地方では、鉄瓶や急須、その他の茶道関連用具にとどまらず、仏寺の鐘や銅像なども作られるようになった。今では、ほぼ全ての日本人が「南部鉄器」の名を知っている。

「南部地方において鉄器産業が花開いた理由の一つに、南部地方において生産に必要な品質の高い鉄鉱石をはじめとする天然資源が採掘できたことがあげられます」——岩鋳の副社長である岩清水弥生氏はこのように語る。

職人の技や品質に重きが置かれていること以外にも、南部鉄器と他の鉄製品との間には異なる点がある。それは鋳鉄の厚さにある。南部鉄器の場合、他の手法で製造されたものに比べて、厚さは2mmに過ぎず、かなり軽い。しかしながら、鉄から鋳造されているために、急須や鉄瓶、そして平鍋には依然として重厚感がある。

多くの伝統的な産業と同じように、岩鋳も、その特徴である職人の技術・技能を維持する一方、世界市場において存続可能なビジネスとして生き残るために、現代的な生産手法やコンテンポラリーなデザインを取り入れている。

デザインをアレンジして欧州市場へ進出したのに続き、岩鋳は米国市場にも参入した。今では、岩鋳にとって、米国は最大の海外市場になっている。

「現地の人々の好みやニーズに合うように、私たちは新たな製品をデザインし、製品の幅を広げています」と、岩清水氏は語る。「例えば、韓国では鍋類が人気ですが、欧米においてはむしろ急須の需要が高く、中国では鉄瓶が好まれています」

岩鋳には、60人の従業員が勤務する近代的な工場がある。独特な南部鉄器を製造するには伝統的に多くの時間と労力を要する工程を経なければならないが、この工場では自動生産システムによりそうした工程の迅速化が図られている。その一方で、岩鋳は、昔ながらの工房も維持しており、見学者は数百年にわたり受け継がれてきた手法に基づいて職人が岩鋳を代表する鉄瓶を製造する姿をじかに見学することができる。だが、こうした伝統的な工房においても、時代の流れには逆らえず、一部に現代的な方法が採用されている。薪をくべる炉で鉄を溶かすとなると3時間もの時間がかかるが、この工程は電気溶解炉により30分に短縮されている。

「伝統的な工程により最初から最後まで手作業で行うと、一つの急須を仕上げるまでに約1週間かかります」と、岩清水氏は言う。「職人は、10年間鍛錬・経験を積めば、伝統工芸品職人の認定試験(筆記)に臨むことができますが、その後も修行は続きます」

幸運にも職人の名前が彫られた南部鉄器を手にすることができたなら、その鉄器はまさに真の職人の手により製造されたものである。鉄器に自分の名前を残すことができるようになるまでには、少なくとも30年の経験を必要とするからである。

前へ次へ