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Highlighting JAPAN

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特集震災から1年:被災地で活躍する外国人

日中で岩手の産業復興(仮訳)

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岩手県の水産加工や食品加工の工場では、数多くの中国人実習生が日本の優れた加工技術を学んでいる。震災直後は大半の実習生が帰国したが、復興が進むにつれて次第にその数も戻りつつある。日本人と共に汗を流す実習生の姿を、松原敏雄がレポートする。

岩手県沖合は世界三大漁場のひとつに数えられ、漁業とともに水産加工業が地場産業の大きな柱となっている。現場で働きながら水産加工の技術を学ぶ中国人実習生の受け入れも20年以上前から積極的に進められ、すでに水産加工業にとって欠くことのできない存在になっている。東日本大震災の後はほぼ全員がチャーター機で帰国していたが、再び岩手に戻ってくる実習生も増えてきた。森下水産(大船渡市)と小野食品(釜石市)は壊滅的な被害を克服して段階的に早期の再建を果たし、彼女たちを再び招きよせて脚光を集めている会社である。

「まだ安全じゃないから日本には戻るなと、家族から反対されました。それはどの実習生も同じです。でも、私は日本人の人たちと一緒に、会社が立ち直るための力になりたい。だから、戻ってきました。みんなやさしいし、仕事も楽しいです。早く元の状態に戻れるようにと、毎日頑張っています。今、とっても充実しています」

そう語るのは、森下水産に昨年8月に戻ってきた9名の実習生のリーダー格であるヤン・シャオメイさんだ。12月に小野食品に戻ってきたヤン・ツァン(YANG ZU YAN)さんとワン・シェンチーさんの二人も、まったく同じ言葉を繰り返した。彼女たち11名は、全員が中国・山東省出身である。

日本に戻ってきたのは、会社の家族的な雰囲気も大きいと彼女たちは口をそろえる。森下水産の森下幹生社長は、自宅は無事だったにもかかわらず、震災当時19人いた実習生たちと避難所生活を共にしている。異国の地での不安に満ちた状況下で、少しでも彼女たちの支えになりたかったからだ。

小野食品の小野昭男社長は、震災当日娘の結婚式で東京にいた。従業員の安否を懸命に確認するうちに、当時12人いた実習生のアパートは無事だったことがわかった。ところが電気もガスも使えないうえに食料もなく、水を入れた即席麺とスナック菓子でしのいでいるという。小野社長は大量の食料を買い込むと、まだ交通機関が完全に復旧していない中飛行機や車を何回も乗り継いで地元に戻り、大急ぎで彼女たちのアパートを訪れた。 彼女たちは「大丈夫、大丈夫」と言いながら、小野社長に抱きついてきたという。

「昨年12月には二人の実習生が会社に戻ってきてくれました。そこで、お礼と挨拶をかねてすぐに中国の山東省に行ってきました」と小野社長は語る。「3月に帰国したままになっていた実習生のうちの3人も、私に会いに来てくれました。私の感謝の言葉に応えて、実習生派遣会社のスタッフも彼女たちも、もっと多くの人が日本に戻れるよう、早く親御さんの理解を得られるようにしたいと言ってくれました」

森下水産、小野食品は被災した工場の修繕、立て直しを進めながら、同時に新たな事業展開に向けた準備を着々と進めている。森下水産は「刺身」を冷凍して国内を流通させる予定だ。小野食品は冷凍の煮魚や焼き魚を通信販売する事業を拡大し、数年後にはアジア圏への進出を目指している。小野社長のブログには、震災直後から通信販売の利用者から激励のメールが殺到した。それが早期復興を決意させた、大きな原動力のひとつになったという。

「みんな大事なスタッフです。国や言葉や文化が違っても、気持ちがあれば通じ合えます。大事なのは心ですよ」森下社長の言葉の言葉通り、両社の作業現場は実習生と日本人スタッフが一体となって、活気に満ち溢れていた。

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