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Highlighting JAPAN

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The Nation’s Museum

ミキモト真珠博物館(仮訳)

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ジュリアン・ライオールが、三重県鳥羽市のミキモト真珠島を訪れた。この地で、御木本幸吉は切望されていた真珠養殖に今から1世紀以上も前に世界で初めて成功した。

女性の最高の友に関する古いことわざがあるが、松月清郎氏は、それに同意しない。彼の考えでは、比類なき真珠こそ、女性が身につける最も美しいジュエリーである。

「真珠は、初めて見た時からすでに唯一完璧な宝石です」と三重県ミキモト真珠島にある真珠博物館館長であり学芸員の松月氏は言う。「ダイヤモンドやルビー、サファイアは、最大限によさを引き出すためにカットし、磨かなければなりません。しかし、真珠は最初に見た瞬間から美しいのです。」

松月氏は、鳥羽の町から約70ヤード(約60メートル)離れた小さな島にある真珠専門の大きな博物館を監督する。この島では1893年、「真珠王」の御木本幸吉が初めて真珠養殖に成功した。

この島は1920年代終わりに、一部の限られた賓客にだけ開島された。1951年に一般に公開され、それ以降女王、王子、国家元首、業界トップを含む4800万人の人々が、これらの美しい半透明の粒に魅了され、島を訪れている。

博物館の1階は、真珠の養殖について詳しく展示している。世界中に生息する10万種におよぶ貝のうちで、真珠養殖に適した貝は6種類ほどにすぎない。日本の真珠業者は一般的にアコヤガイを利用しており、タヒチのクロチョウガイから黒真珠、大きなシロチョウガイから大粒の「南洋珠」が作られる。

真珠を作るには、貝の口にくさびを差し込み、磨かれたイシガイ科の貝でできた丸い核を透明な外套膜の切片と一緒に送り込み、これが最終的に真珠層で包まれる。

展示によると、最良の真珠は、わずか5%しか収穫されず、50%もの貝が死んでしまう。不完全な真珠は、医療サプリメントや化粧品に使用される。

博物館では、長いシルクの糸に通される真珠の選別方法も展示され、糸に通す職人は同じ光沢、色、サイズの真珠を組み合わせる優れた目が必要であることが示されている。1階の展示室には、三重県の有名な海女を含め、世界中の真珠産業に関する幅広い写真コレクションが展示されている。

博物館の2階では、見学者は真珠の美術工芸品を鑑賞することができる。松月氏と従業員たちは、1985年に真珠を利用した高級ジュエリーの収集を開始し、およそ 250 点のコレクションを構築した。

これらのコレクションには、紀元前 1世紀の金と3つの真珠のイヤリング、ローマのジュエリー、ビザンチンイヤリングにセッティングされたブルーパール、およそ1600年に作られた、十字架に真珠をはめ込んだ美しいフランスのペンダントなどがある。他にも、ほぼ同じ時期にスペインで作られた、足に真珠をつけた金のライオンのペンダントがある。さらに、イギリスのロケット、カナダやスコットランドのブローチ、19世紀初期の、真珠をあしらったイランの敷物が含まれる。

ミキモトの職人たちは、数多くの驚くべき壮大な美術工芸品も手がけた。12,760個の真珠を使用した奈良の古代寺院のレプリカ、14ヵ月の月日を費やし、796個の最高品質の真珠と17個のダイヤモンドを使用した、中世ビザンチンの作品をベースにした王冠、ニューヨークで展示され、12,250個の真珠と366個のダイヤモンドを使用した自由の鐘のレプリカなど。

本島には他にも、御木本幸吉記念館があり、見学者に1954年に96歳でこの世を去った御木本氏の生涯とその時代を伝えている。さらに、同社の創立者の大きな像、幅広い真珠製品を販売するショップ、昔ながらの白い磯着を着た海女の実演を見ることができる場所が設けられている。

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