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Highlighting JAPAN

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特集伝統と最新技術で守る建築

災害に対する建築の役割(仮訳)

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2011年9月25日から10月1日まで、国際建築家連合(UIA)が主催するUIA2011 (第24回世界建築会議)東京大会が、国内外から5,000名以上の参加者を集め、東京で開催された。ジャパンジャーナルの澤地治が小倉善明世界建築会議日本組織委員会会長に話を聞いた。

──東日本大震災から約半年後に開催されたUIA2011東京大会のテーマはどのようなものだったのでしょうか。

小倉善明氏:東京大会のメインテーマは震災前に、「DESIGN 2050」と決まっていました。これには、2050年にあるべき建築や都市の未来像を描き出し、そこに向けて持続可能な建築環境や生活の質を「デザイン」していくという意味が込められています。震災後は、このメインテーマに「Beyond Disasters、Through Solidarity, Towards Sustainability」という副題を付けました。大会では、数々の災害が発生する現代社会での建築家の役割について様々な議論が行われました。その中でも、建築家は、経済性ではなく、幸せの追求のために何が出来るかを考えて欲しいと訴えた、ジグメ・ティンレー・ブータン王国首相の基調講演は、聴衆の心に強い印象を残しました。

これまでUIAは、どちらかというと、建築の依頼主に目を向けがちでしたが、東日本大震災後に開催された東京大会は、これまでと違い、厳しい生活状況にある人々に目を向けた大会となりました。期間中、ヴァシリス・スグータスUIA元会長とお会いした時、彼は「この東京大会は、これまでのUIA大会の流れを変えるきっかけとなりました」と述べています。

──東日本大震災後、復興のために、建築家はどのような活動を行っているでしょうか。

UIA2011東京大会で、UIA特別賞の一つであるオーギュスト・ペレ賞を受賞した坂茂氏は、東日本大震災後、避難所でのプライバシーを保つために紙製の筒を利用した間仕切りの設計や、仮設住宅の建設に関わっています。坂氏はこれまでも、海外で災害被災者や難民の支援に力を注いできました。そうした坂氏の姿勢は、世界から高い評価を受けています。

また、伊東豊雄氏は10月に完成した、宮城県仙台市の仮設住宅内に集会施設「みんなの家」を設計しました。これまでの仮設住宅地には、被災者が住む鋼板で主に作られた住宅しかなく、被災者の孤立化が懸念されていましたが、その一角に、木のぬくもりがあり、心が安らぐ「みんなの家」を造ることで、仮設住宅に新しい「命」を吹き込んだのです。

──防災において、建築家はどのような役割を果たすべきでしょうか。

例えば、景観保全と防災の両立です。津波を防ぐために、海岸線沿いに巨大な防波堤を作ることは、景観にとっては好ましいことではありません。そこで、東日本大震災によって大量に発生した瓦礫を利用して、景観を壊さないようにデザインするといったことも建築家の役割であると思います。江戸時代に植えられた東北地方の海岸沿いの防災林や、400年以上前に、川の氾濫を防ぐために建設された山梨県の堤防「信玄堤」は、風景の一部となっています。

日本では2004年に、景観は「国民共通の資産」と定めた景観法が施行されています。この法律を活かし、かつ、安全な町を作るために、建築家の智恵が必要になるのです。

──日本は、建築を通じて世界の防災にどのように貢献出来るでしょうか。

日本では1950年に建築基準を定めた建築基準法が施行されましたが、強い揺れによる建築物被害が深刻であった1968年の十勝沖地震と1978年の宮城県沖地震 の後に、建築基準法の改正が行われました。この2回の改正により、建築物の耐震性は非常に改善されました。こうした耐震のための法律作りに日本は貢献できると考えています。

また、日本の耐震技術は世界で最も進んでいます。最先端の技術だけではなく、それぞれの国の建物に合わせ、耐震性を向上させる技術も持っています。例えば、開発途上国では、地震により日干しレンガ造り家屋が倒壊し、多くの死者が出ることがありますが、現地でも簡単に調達できる樹脂製のバンドを日干しレンガ作りの家屋の壁の表面に貼って耐震補強する方法も考えられています。そうした現地に合った耐震技術支援は、イラン、ペルーなど地震の多い国で国際協力機構を通じて行われています。

日本はこれまで様々な災害を経て、建築物の耐震の知識や技術を高めてきました。これらを活かし、日本は世界に貢献する義務があるのです。

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