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Highlighting JAPAN

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The Nation’s Museum

久保田一竹美術館(仮訳)

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日本の著名な美術館を巡る旅をするジュリアン・ライオールが続いて訪れたのは、山梨県は富士河口湖町にある、世界的に有名な染色家の久保田一竹氏が設立した久保田一竹美術館である。

太陽や空、花、雪、富士山、まるで生きているかのような躍動感あふれる色彩。そんな自然界を包み込むように建つ久保田一竹美術館が、その設計にあたり目指したのは、見る人に語りかける美術館。

そのコンセプトが見事に実現されている美術館だ。

久保田一竹美術館は、河口湖と富士山の山腹を望むロケーションに1994年にオープンした。染色家久保田一竹氏(1917~2003年)が「辻が花」(「道端に咲く花」というのが文字通りの意味)の技法を使って制作した着物を常時40点余り展示している。辻が花という名前はもともと、生地のデザインによく使われた花に由来する。

辻が花と呼ばれるこの精緻な絞り染めと刺繍の技法の歴史は14世紀初めまでさかのぼることができるが、久保田氏がその複製を試みるまでは、その存在はほとんど忘れられていた。複製の過程で、久保田氏は独自のスタイルを確立し、後に「光響(こうきょう)」と名付ける80連作の着物を制作するという壮大な計画を打ち立てたのである。一着作るのに少なくとも一年かかり、現在も家族と弟子の手によって制作が続けられている。

「久保田一竹はある美術館で辻が花の小裂れを見て、自らの手でこういうものを作りたいと考えたのです」。館長代理兼広報課長の高村文彦氏は説明する。「そして、それを叶えると、美術館を設立してこの重要な日本文化の伝統と歴史を守りたいと考えました。彼の発想の源にはいつも富士山がありました。ですから、美術館を建てる場所を探すのに、富士山の周辺をくまなく見て回ったのです。最終的に景色が決め手となって、この場所に落ち着きました」

本館はピラミッド型で、樹齢千年を超す巨大なヒバの木16本がそれを支えている。ピラミッドの先端はガラス張りになっているため、そこから光が差し込み、建物の中央に一段高く設けられたステージ上や壁に沿って展示されている着物を照らす。ガラス越しに展示されている着物は一点もない。訪れた人が本当の意味で芸術作品を「感じる」ことができるようにとの思いから、久保田氏が決めたことである。

久保田氏は、第二次世界大戦中には兵役に服し、終戦後には三年間シベリアに抑留された。彼の作品の中でも特に傑作と言われる作品の一部は、この時代がもとになっている。

「光響」シリーズは、15点づつ、四季それぞれの季節を描いた作品と、久保田氏が思い描く宇宙を表現した20点の着物で構成される。着物にはそれぞれ「つながり」があり、作品を隣合せて並べると、一年を通した母なる自然の物語が語られる。

なかでも、個人的に最も好きなものが、オレンジ色と金色が輝くばかりに調和した、シベリアの夕陽を描いた作品だ。近くで見ると、生地を織りなす糸の一本一本が光にきらめくのが分かる。

壁一面に沿って展示された8点の着物は、晩冬の物語を語る。うっすらと積もった雪は吹雪になり、やがて青い氷の世界へとその姿を変える。

建物の奥にある久保田氏の私室は現在、茶房として利用されており、池に流れ落ちる滝を眺めながらお茶を飲むことができる。池も滝も久保田氏のデザインによるもの。茶房に展示されている像や彫刻は、アフリカやアジアから集めたものである。

新館でも、このような異国情緒を味わうことができる。1997年に増築された新館は、他とは全く違った趣。高村氏によれば、新館にはアントニ・ガウディのインスピレーションも反映するよう、このスペイン人アーティストを崇拝していた久保田氏が依頼したという。久保田氏はまた、沖縄を広く旅しており、サンゴ礁が化石化してできた琉球石灰岩の魅力に取り付かれていた。ミュージシャンのパフォーマンスエリアに面して並ぶ斜めの柱が支える、サンゴでできたこの印象的な建物のデザインには、その影響も見られる。新館には、現在は歌舞伎の舞台衣装を展示している企画展用の特設ギャラリー、開放的な雰囲気のカフェ、ミュージアム・ショップもある。

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