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Highlighting JAPAN

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特集世界で活躍する日本人女性

ハイチのマザーテレサ、須藤昭子(仮訳)

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2010年1月にハイチで起きた大地震は現地に深刻な被害をもたらし、今なお、多くの人が家を失ったままである。また、コレラなどの感染症も流行し、人々は厳しい環境に置かれている。そのハイチで30年以上にわたって医療支援を行っているのが、シスター須藤昭子さんだ。現地の人々からハイチのマザーテレサと呼ばれ、84歳になった今も、ハイチで人々への支援活動を行っている須藤さんに、ジャパンジャーナルの澤地治が話を聞いた。

須藤昭子さんがハイチ行きを決意したのは1976年、49歳の時である。ハイチの死亡原因の1位が結核であることを記事で知ったことがきっかけだった。

第二次世界大戦直後に医師となった須藤さんは、1972年まで兵庫県西宮市にあるカトリック修道会の病院で、結核患者の治療を行っていた。かつて結核は日本でも治療法のない「死の病」として恐れられていたが、第二次世界大戦後には抗生物質の普及、予防接種や検診などの結核対策が進展し、死亡率は急速に低下した。

「ハイチに日本の結核対策を導入して、結核を撲滅しようと考えたのです」と須藤さんは振り返る。

須藤さんの所属する修道会は、ちょうどその頃、ハイチに支部を設立することになっていたので、須藤さんは修道会本部にハイチ行きを願い出た。そして、1976年10月、修道会本部から派遣され、1977年12月よりハイチ保健省の任命を受けて、ハイチの首都ポルトープランスから西へ30kmほど離れたレオガンという町の「国立シグノ結核療養所」に医師として派遣された。

しかし、須藤さんが直面した現実は非常に厳しかった。療養所と名は付いているが、医療設備は全くなかった。電気も水も供給されておらず、患者の多くがベッドではなく、床に寝かされていた。また、文盲率の高さやインフラの未整備といった社会的な問題も、須藤さんの前に立ちはだかった。

須藤さんは、ハイチ人のシスターや医師、看護師と協力し、カナダや日本からの援助を受けながら病院の設備を整えていった。医療器具を揃え、清潔な水を得るために井戸整備も行った。療養所は結核治療を目的としていたが、外来には様々な患者が訪れ、時には外傷の治療も行わなければならなかった。須藤さんは朝から晩まで、患者の診察や治療に奔走した。やがて、1980年代になると、日本政府の援助で、診療棟と重症患者用の病棟も建設された。須藤さんは病院の所長として、医療設備を整えていった。

1980年代中盤に、須藤さんは、ハイチ人の医師に所長の座を譲り、国際所長という立場で、病院経営の相談、患者の診療を続けた。しかし、1980年代後半から、クーデーターや国連による経済制裁によりハイチは政治的、経済的な混乱に陥る。町は暴動や略奪が頻発し、多くの外国人がハイチを離れたが、須藤さんは患者を見捨てることができずハイチに留まった。須藤さんはそのような状況の中で、ある時患者から「シスターは僕たちで守ってあげます」と言われたことが強く印象に残っているという。「彼らの私に対する信頼、愛、自分の生命を危険にさらしても私を守ろうと思っていることを知り、すごく感激しました」と須藤さんは言う。「結局、人間は愛によって生かされているのです」

ハイチの希望

須藤さんは、2008年、81歳で病院を引退したが、その後も現地にとどまり、ハイチ人の自立のために農業学校の設立に取り組んだ。その農業学校の設立に目途がつき、日本に一時期帰国していた2010年1月12日、ハイチ地震が発生した。

須藤さんは「ハイチに30年以上いましたが、地震にあった記憶はなかったので、非常に驚きました」と言う。

地震後、須藤さんは直ぐにハイチに行きたかったが、現地との連絡もとれず、ようやく地震から3ヶ月後の4月下旬にレオガンに戻ることができた。

しかし、シグノ結核療養所は地震により8棟全ての病棟が全壊もしくは半壊し、約60名の入院患者は猛暑の中、テントで治療を受けている状態だった。

須藤さんは早速、患者に必要な水の手配に駆け回った。また、病院の再建のために日本政府、国連機関、NGOと交渉を行った。その結果、今年7月、療養所の洗濯場の建物が日本の自衛隊によって建てられた。まだ病棟は再建されていないが、患者はスイス赤十字の建設した仮設病院に間もなく入所できる予定だ。

「私はハイチの人々、特に子供たちが貧しい困難な生活の中、明るさを失わないでいるのを見ると、救われた気がします」と須藤さんは言う。「これまで、私は自分が助けようと思っていた患者の人たちから、逆に、がんばる力をもらってきました。人は一人では生きてゆけません。互いに支え合うときに、人は希望を持つことができるのです」

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