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Highlighting JAPAN

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特集世界で活躍する日本人女性

世界を駆ける義足のアスリート(仮訳)

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義足のアスリートである中西麻耶選手は2012年ロンドンパラリンピックのメダル獲得によって、陸上競技での勝利を積み重ねたいと願っている。ジャパンジャーナルの澤地治が報告する。

中西麻耶選手は、21歳のとき勤務先の塗装店で、崩れてきた5トンの鉄骨に右足を押しつぶされるという事故に遭った。当時中西選手は地元大分県を代表するソフトテニスの選手だった。事故後、足を残すとリハビリに時間がかかり、選手として直ぐに復帰できないと知り、膝下15センチを残し、切断を決意する。

「でも、最初、義足ではテニスはおろか、歩くことさえもままならず、とても落ち込みました」と中西選手は振り返る。

そうした時、スポーツ義足製作の日本人第一人者から陸上競技への転身を勧められ、短距離の練習を開始する。すると、わずか半年で100mと200mで日本記録を達成するほど急成長を遂げたのだ。

そして、2008年9月14日、中西選手は北京パラリンピックで、日本人女性としては初めて、100mのスタートラインに立つ。その日は、奇しくも事故から丁度2年目であった。予選では13.93秒と、自ら持つ日本記録を破り、決勝では6位となった。また、200mは4位という成績を残している。

しかし、中西選手はこの成績に全く満足しなかった。

「日本で負けを知らなかったので、世界を甘く見ていました」と中西選手は言う。「海外の厳しい環境の中に身をおいて、精神面を鍛えなければ、絶対に世界では勝てないと痛感したのです」

彼女は渡米を決意、2009年からアメリカのカリフォルニアのサンディエゴにあるナショナル・オリンピック・トレーニング・センターを拠点に練習を行うようになった。そこで、現在のコーチ、アル・ジョイナーに出会い、100mと200m、そして幅跳びの指導を受けるようになる。すると、指導を受け始めて1ヶ月半後、幅跳び選手として初めて臨んだ試合で、いきなり日本記録を破る4m71cmを跳んだ。その後、さらに練習を積み、現在世界記録にあと13cmにせまる4m96cmまで自己ベストを伸ばしている。

「私は義足の女子陸上選手の中では最も小柄(1m58cm)です。だから、海外の試合で、大きな選手を破ったりすると他の選手も観客も驚くんですよね。すかっとします」と中西選手は笑う。「アルは、『マヤは必ず世界記録を出せる』と言ってくれます。絶対、3種目全部で世界記録をたたき出したいです」

中西選手にとって、来年のロンドンパラリンピック出場も大きな目標の一つだ。しかし、選手としての生活は忙しい。スポンサー探し、試合出場やそのため移動の手配などすべて自分でやらなければならない。そうした中で、一時帰国した日本では、講演会、取材、子ども向けのスポーツ教室の依頼を積極的に受けている。

「日本で障害者スポーツへの注目度をもっと高め、社会に根付いた文化として、障害者スポーツを確立させていきたいのです」と中西選手は言う。「私の後から続く障害者スポーツのアスリートのためにも、道を作っていかなければならないと思っています」

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