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Highlighting JAPAN

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特集一人一人が一人一人を幸せにする国際協力

自衛隊のハイチでの活動(仮訳)

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2010年1月12日(現地時間)にハイチ共和国で発生したM7.0の地震は、死者31万人以上、総人口の1/3にも及ぶ370万人もの被災者を出した。

地震の直後から日本の自衛隊は、国際緊急援助活動として、現地に急行、避難民の安全な場所への移送や医療援助に従事した。同年2月からは、国連ハイチ安定化ミッションのもと、PKO活動として、街の復興支援にあたる部隊が現地で活動を始めた。

地震直後、首都ポルトープランスは倒壊した建物の瓦礫が地面を覆い、道路も塞ぐ状態だったため、約350名の自衛隊の復興支援部隊は、倒壊したビルの瓦礫の撤去、道路の復旧作業、さらに、避難民キャンプや孤児院の造成などの活動に従事した。自衛隊の入国当初は閑散としていた街も、倒れた建物の瓦礫が取り除かれ、道路が通じると、人や車の動きがたちまち活発になってきたという。

「作業現場に向かう車の中から、次第に賑やかになっていく街の様子を感じました」2010年2月に現地入りし同年9月まで復興作業に携わった、陸上自衛隊北部方面施設隊坑道中隊の河原康史2等陸曹は当時を振り返る。

「そこには、地震の被害にうつむき力を失うばかりではなく、これから先の未来を考え、精力的に復興へ向かって動き出す人々の力強さが感じられました」

河原2曹は、作業を進めていく中で現地の人々との交流が生まれていったことが印象深いと語った。隊員達はハイチ語の単語帳で「こんにちは」「ありがとう」などの言葉を覚え、現地の人々に身振り手振りを交えて話しかけた。現地の人々も、自衛隊の働きぶりを見ているうちに隊員に話しかけてくるようになった。自衛隊の持ち込んだ重機について「どうやって使うのか」と隊員に尋ねてきたり、「ここの瓦礫を撤去してほしい」と依頼をする人がしばしば現れるようになった。

「励みになったのは、現地の人からの『ありがとう』『助かった』という感謝の言葉でした」と河原2曹は言う。「現地の方から、作業を行っている我々に果物を差し入れてもらったことがあります。被災地なのにそのような心遣いをしてもらったことに感激しました」

安全第一

「重機による作業は、特に神経を使いました」

坑道中隊の小隊長であった伊里貴紀2等陸尉は、当時の作業を振り返る。

「地震の被害にあった建物を重機で解体している途中、予想外の部分が崩れてくることもありました。周辺の建物に被害を及ぼさないよう、また部下の安全を守るため、崩していく順序や場所を慎重に判断し、細かく指示をするよう心がけました」

自衛隊による復興支援は現在も続けられている。地震発生以降、今年2月現在までで合計約900名の隊員が復興支援に携わった。

伊里2尉は、日本に帰国してからも、ハイチが今どうなっているかが常に気にかかると話す。「機会があればまた、復興活動に参加したいと思っています」


クライストチャーチの国際緊急援助隊(仮訳)

ニュージーランド政府の要請により、2月22日にマグニチュード6.3の地震の被害を受けたクライストチャーチへ、日本は国際緊急援助隊(JDR)を派遣した。緊急援助隊は医師、看護婦、構造評価専門家、業務調整員など66名と、3匹の救助犬で構成される。

緊急援助隊は24日に被災地に到着し、ニュージーランドの救助隊とともに、100名以上が閉じこめられていると言われる崩壊したビルで救助活動を始めた。

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