March 2024
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近代化以降、進化し続ける日本の橋
日本は、19世紀後半半ば以降の近代化に伴い、西洋の橋梁(きょうりょう)*建設技術を取り入れ、現在では世界でもトップレベルを誇る。そこまでに至る歴史的背景、技術革新の過程や代表的な橋の事例などについて、名古屋大学名誉教授の山田健太郎(やまだ けんたろう)さんに話を伺った。
日本は近代化に伴い、19世紀の終わりくらいから橋の建設について西洋の技術を取り入れてきました。日本の橋はそれ以前とそれ以降でどのように変わったのでしょうか。
急流河川が多く、地盤が悪い所が多い日本において、かつて、ほとんど多くの橋は木や石といった容易に手に入る材料で造作した簡易的な設備で、災害があれば容易に壊れてしまうようなものでした。ところ、19世紀後半以降外交が盛んになり、欧米を視察した人たちが産業革命以降の鉄を主体とした近代的な橋を目の当たりにしたことで、日本でも西洋技術が導入され、鋳鉄、錬鉄**を輸入しての架橋が始まりました。例えば、東京都江東区にある「八幡(はちまん)橋」、兵庫県朝来(あさご)市の「神子畑(みこはた)橋」など、今も残る名橋が数多く誕生しています。
その後、1901年に官営八幡(やはた)製鉄所福岡北九州の火入れが始まって以来、日本国内でも製鉄が盛んになり、インフラ設備への導入が進みました。橋も徐々に鉄橋(鋼橋)が建設されるようになってきました。鋼橋とは、荷重を支える主要な部材が鋼製(鋼鉄製)の橋を言います。特に、鋼橋が多く建設される契機になった出来事として1923年の関東大震災があります。東京周辺の多くの木橋が落橋、焼失したことから、その復興事業の折、この新しい形式の橋が数多く開発されるようになりました。現在も残る「清洲(きよす)橋」、「永代(えいたい)橋」、「勝鬨(かちどき)橋」、「千住(せんじゅ)大橋」、「白髭(しらひげ)橋」など、東京の東部を流れる隅田川に架かる橋群が建設されたのはこの頃です。
また、第二次世界大戦の開戦(1939年)前後の時代は、国力増強の影響もあって国内の材料や技術だけでも大きな橋が造られるようになりました。ちょうどその頃、欧米の教育システムで設計を学んだ留学生が日本に戻り、橋の建築に携わるようになりました。ニューヨークの「ブルックリン橋」に用いられた基礎工事技術が、地盤の弱い日本での橋の建設に取り入れられるなど技術が格段に進歩したのもこの頃です。1935年に架けられた「長浜大橋」(愛媛県大洲市)や前述の「勝鬨橋」など、今でも残る大変すばらしい橋が数多く残されています。
第二次世界大戦後、日本が高度成長期を迎えると、製鉄業や造船業が発展するとともに溶接技術が進歩し、これまでは鋼橋の接合部は鋲(びょう)で留めていたのですが、溶接が採用されるようになりました。溶接で構造を造ることで、これまで以上の通行可能交通重量に耐えられるようになったのです。ちなみに1964年の東海道新幹線の開業は、溶接技術の賜物と言えるでしょう。
現在、日本は橋の建設において、世界でもトップレベルの技術を有していると言われています。日本の橋がなぜここまで発展できたのか教えていただけますでしょうか。
公共構造物にとって、地震と台風など自然災害への対策はそれらが多い日本特有の大きなテーマです。そのため、橋梁建築に関する自然災害対策の研究開発は以前から盛んで、企業も材料の開発や強度の検証などの研究投資を惜しみませんでした。30年後50年後を見据えた研究を行っていたことで、世界をリードするような目覚ましい技術を生み出していたのです。
また、高度成長期に入ると、道路インフラの整備に伴う技術の発展も進みました。全国で高速道路の建設が進み、道路網を結ぶ大橋が架けられるようになりました。その代表が本州四国連絡橋***の建設です。日本列島を橋とトンネルでつなぐ国家プロジェクトの一環としてスタートした計画でしたが、日本の橋梁事業においての影響は非常に大きく、多方面の技術の進歩につながっていると思います。
また、新しい橋の構造形式や老朽化した橋のリハビリテーション技術も日本は優れており、世界的に注目されています。軽くて丈夫な構造を目指す一方で、振動や設計上の問題にも注意しなければならなかった背景や自然災害と向き合ってきた歴史が、日本の橋梁事業に革新をもたらしていたのです。
日本の近代化以降に造られた橋の中で、先生が考える代表的な橋をいくつかご紹介ください。
先ほど紹介した隅田川の震災復興の橋群は船からも見ることができます。また「日本の道100選」にも選ばれる九州の熊本県にある「天草五橋(あまくさごきょう)」は、それぞれの構造形式が異なる橋が風光明媚な島伝いにかけられ美しい風景を描いています。
鉄鋼を用いた現代的な橋で美しいと思う橋はたくさんありますが、日本には数少ない跳ね上げ橋****である前出の「勝鬨橋」や、三つのルートがある本州四国連絡橋の神戸・鳴門(なると)ルートに架かる「明石海峡大橋」も見ごたえのある橋です。いずれも技術的な難しさを克服した橋として、見る価値のある橋だと思います。
最近では各地で橋を渡るツアーやガイドが充実し、橋は観光の対象としての役割も持つようになっています。海外から来日される方々に、見ていただきたい、渡っていただきたい、おすすめの橋がありましたら教えてください。
景観や体験を楽しむという点では、前述の本州四国連絡橋の尾道今治(おのみちいまばり)ルート、通称「瀬戸内しまなみ海道」は、瀬戸内海の美しい風景を眺めながらレンタサイクルでも橋を横断できるなど、なかなかない体験もできる橋としておすすめです*****。また、愛知県の伊勢湾岸自動車道にある、「名港(めいこう)西大橋」「名港中央大橋」「名港東大橋」という三つの橋を総称した「名港トリトン」は、それぞれが非常に美しい海上の斜張橋(しゃちょうきょう)******で、見応えがあると思います。また愛知県蟹江市(かにえし)にある「御葭(みよし)橋」は、平成28年にユネスコの無形文化遺産に登録された須成(すなり)祭が開催される際に、巻藁船(まきわらぶね)や車楽船(だんじりぶね)が通る時のみ上にあげるという、珍しい巻上げ橋もあります。
今後の日本における橋梁事業は、どのように展開していくようになると思われますでしょうか?
日本の橋梁事業は二つの局面から転換期を迎えているのではないでしょうか。一つは公共事業に関して、環境保全や景観を大切にするデザインといった周辺環境への配慮が以前よりも大切にされるようになっていることです。公共建造物としての橋は、これまで以上に連続性や一貫性を大切に新しい価値観を取り入れて設計されていくでしょう。そしてもう一つは、これまでに架けられた橋の老齢化が進んでおり、今まで以上に維持管理が重要視されるようになっていることです。日本を代表する橋梁技術者であった増田淳*******が設計し1934年に架けられた「伊勢大橋」など、自国内で開発した技術も含めて歴史的価値のある名橋をいかに後世に遺していくかが、今後の橋梁事業の大きな課題だと感じます。
* 交通の便をはかるため、河川・渓谷・運河道路などの上にかけ渡す構築物。橋 。
** 鋼鉄を大量生産できる転炉が発明される以前の製鉄方法。溶けた銑鉄を鋳型に流し込む製法で作られた鋳鉄や、銑鉄をパドルと呼ばれる鉄棒で製鉄していく錬鉄があった。
*** 日本の本州と四国を、瀬戸内海を横断してむすぶ架橋の総称。神戸〜鳴門、児島〜坂出、尾道〜今治の3ルートがある。
**** 船の通行にあたって、橋の一部が上方に開く構造になっている橋。
***** 海の上でのサイクリング「瀬戸内しまなみ海道」 | April 2023 | Highlighting Japan (gov-online.go.jp)参照。
****** 橋桁の上に高く伸びる塔から斜めに張ったケーブルで橋桁を直接支える構造の橋。
******* 1883年香川県生まれ。1947年没。1908年に渡米し、欧米の橋梁技術を学び帰国。橋の設計並びに工事監督など橋の建設に携わる。「白髭橋」や「伊勢大橋」など、全国内外の主要な80橋に関わった稀代の橋梁技術者。
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