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November 2023

日本のASEANへの国際協力、これまでとこれから

  • 田中明彦・独立行政法人国際協力機構(JICA)理事長
  • 1961年から始まり現在も続いている、インドネシアのブランタス川流域開発事業 Photo: 日本工営株式会社
  • これまで2万6千人以上のマレーシア人研修員が参加している東方政策プロジェクト****
    Photo: YASUDA Natsuki/JICA
  • 日本の鉄道事業のノウハウを生かした地下鉄プロジェクト
    Photo: JICA
  • 日本の北九州市が協力し、上水道整備で蘇ったカンボジア・プノンペンのプンプレック浄水場
    Photo: JICA
田中明彦・独立行政法人国際協力機構(JICA)理事長

東南アジア諸国連合(ASEAN)各国への国際協力において、日本が歩んできた道のりについて、独立行政法人国際協力機構(JICA)の田中明彦(たなか あきひこ)理事長にお話を伺った。

—ASEAN諸国への国際協力において、日本が歩んできた道のりとJICAの果たしてきた役割について、改めてお聞かせください。

6.8億人規模の人口*を背景に大きな消費市場、労働力を有する東南アジア地域は、歴史的、宗教的、民族的にも多様性を包摂する地域で、日本とは地理的に近いだけでなく、政治・経済、歴史的にも深い関係があります。

現在日本はASEAN諸国から信頼される存在であると思いますが、歴史的にみるとその関係が常に友好的であったわけではありません。1970年代前半に日本製品の輸出攻勢により起こった貿易不均衡が引金となり発生したタイ**での「日本商品ボイコット運動」や、1974年の田中角栄(たなか かくえい)内閣総理大臣(当時。以下「首相」)の東南アジア歴訪時における反日暴動は、当時の日本政府関係者にも大きな衝撃を与えました。そのような状況下、1977年に福田赳夫(ふくだ たけお)首相がフィリピンを訪問中に「福田ドクトリン」を発表しました。日本は軍事大国とならない、ASEAN諸国と心と心の触れあう信頼関係を構築する、日本とASEAN諸国は対等なパートナーである、というASEAN外交の3つの原則で日本とASEAN諸国との双方向の交流を重視していくことを明確にしました。さらに、1981年に鈴木善幸(すずき ぜんこう)首相がASEAN諸国を歴訪した際、日本の人材育成支援事業の先駆けとなった「ASEAN人造りへの協力」を提唱したことを機にODA***による人的交流も活発に行われてきました。これらが現在の日本とASEANの友好関係を築く基礎になっています。

1961年から始まり現在も続いている、インドネシアのブランタス川流域開発事業 Photo: 日本工営株式会社

1990年代に入ると、現代史の大きな転換点である東西冷戦構造の崩壊が起こり、メコン地域の4か国(カンボジア、ラオス、ミャンマー及びベトナム)がASEANに加盟したことで、東南アジア全域をカバーする地域共同体へと発展。カンボジア和平合意を受けてJICAではカンボジア、ラオス、ベトナムに対する協力を本格的に進めることとし、さまざまなインフラ開発への協力や、社会主義計画経済から市場経済への経済体制の移行のための共同研究、民法典の起草支援や法曹育成などの法整備支援といった知的支援を行いました。

これまで2万6千人以上のマレーシア人研修員が参加している東方政策プロジェクト**** Photo: YASUDA Natsuki/JICA

さらに、1997年にはアジア経済危機がASEAN地域を襲いました。JICAは各国に対し危機対応のために必要となる資金を提供し、インドネシアでは通貨危機克服のための経済対策を支援する有識者を派遣しました。

昨今は新型コロナウイルス感染症対策への支援として、2020年よりJICAは新型コロナウイルス感染症危機対応緊急支援借款をASEAN5か国に対して総額2,850億円を、優遇した金利条件で供与しています。 こうした協力を通して、日本はASEAN諸国に対してインフラ開発、人づくり、強靭な社会づくり等を支援してきました。

—田中理事長は、2012年から2015年に続き昨年4月からJICAの理事長をお務めになられておりますが、印象的だった国際協力案件がありましたらご紹介ください。

特に印象的だった事例は、フィリピンのミンダナオ地域に関する協力です(18~19ページ参照)。イスラム教徒の人々という意味である「バンサモロ」の自治を求める武装勢力とフィリピン政府の紛争は、市井の人々の生活を犠牲にしながら50年近くも続きました。2003年の停戦合意を受け、JICAは和平支援を開始しました。2008年、紛争が悪化し各国が撤退する中でも、当時の緒方理事長の強い意志でJICAは撤退せず双方への平和的な協力を継続。2011年には日本が仲介役となりアキノ大統領とムラドMILF(モロ・イスラム解放戦線)議長によるトップ会談が成田で実現し、これがきっかけとなって、2014年に歴史的な包括的和平合意が調印されました。私も当時JICAの理事長として和平合意調印に立ち会い、その後、JICAとして平和が定着するように様々な協力を行ってきました。今年1月、私がミンダナオを訪問した際には現地の状況は開発が進んでおり、バンサモロ暫定自治政府議会により長年の協力に対する感謝決議が採択されました。これは大変名誉なことと受け止めています。

フィリピンのミンダナオ地域における包括和平合意署名の様子 Photo: JICA

—ASEAN諸国は、政治、経済面において国際社会でのプレゼンスを高めてきていると思われますが、田中理事長は、こうした面でのASEANの現状と今後について、どのようにお考えでしょうか。

21世紀に入って、ASEANの経済発展は目覚ましいものがあります。ASEAN地域全体のGDP(国内総生産)は、2002年は6,607億ドル、2022年は3兆6,232億ドルと、この20年で5.5倍と大きく伸びており一大経済圏に成長しています。また、政治面では、2022年のASEAN首脳会議において東ティモールの加盟が原則承認されており、正式加盟が実現すれば、東南アジアの全ての国がASEANに加盟することになります。このようなASEAN諸国の経済発展、ASEAN共同体の発足と統合の深化、国際社会での台頭により、日本にとってもASEANの重要性は日々増しています。ASEANの平和と繁栄が、日本を含む東アジア地域全体の平和と繁栄に直結すると言えるでしょう。

—ASEAN各国への国際協力について、日本とASEANの政治あるいは経済上の関係も踏まえまして、今後の展望をお聞かせください。

日本もASEAN各国も、気候変動やデジタル化の急速な普及、急激な都市化への対応、感染症、人口構造の変化など、現在姿を現しつつある高度化・複雑化する課題と機会に対応する必要があります。今後は、より一層、共通の課題に対して日本とASEAN諸国が一緒に答えを見つけていくという姿勢が重要になってくると思います。例えば、自然災害への対策として東南アジアで実施したことが日本で役立つということもあり得ます。また、インドネシアのジャカルタではMRT(ジャカルタ都市高速鉄道)という地下鉄を作るプロジェクトを進めていますが、これは日本における公共交通の開発経験や技術を生かしながらも、そこで作られた日本側の知識や経験が日本における大都市の問題解決に繋がるような側面も非常に強く持っていると思います。

日本の鉄道事業のノウハウを生かした地下鉄プロジェクト Photo: JICA

また、日本の地方自治体とASEAN諸国の地方自治体との間の協力を、JICAの事業で支援するということも行っており、これは日本の地方自治体の国際交流や経済の活性化にも繋がるという面が非常に大きく、日本においても可能性の大きな事業だと感じています。

日本の北九州市が協力し、上水道整備で蘇ったカンボジア・プノンペンのプンプレック浄水場 Photo: JICA

また、現在、ASEAN事務局や各国とともに、東南アジアや他の地域の開発途上国の課題解決のための協業を始めていますが、これらは今後ますます拡大していくことになるでしょう。また、これまで日本は伝統的に東南アジア諸国に対して現地の事情に合わせて日本人の専門家や技術者が現地の人と一緒に考えて問題解決に当たってきました。今後もお互いの優れているところから学び合う、双方向型の活動という側面は一層強くなっていくと思います。

JICAが支援している、マレーシア標準工業研究所でケニア、ナイジェリア、南アフリカ、ウガンダ及びザンビアの5カ国の参加者を対象に行っている研修の様子 Photo: JICA

改めてこの50年を振り返ったとき、JICAが目指し達成したものは、各国の開発への貢献であると同時に「福田ドクトリン」が目指した、人と人、心と心のつながりと、そこから生まれる信頼であったと思います。日本が今後もASEANにとって信頼できる重要なパートナーとしてあり続けるためには、発展するASEANからも貪欲に学び、深い対話を行い、共に前進していかなければならないのではないでしょうか。

* 出典元: World Bank Open Data (2022)
** 国名は略称を用いる。
*** ODAとは開発途上地域の開発を主たる目的とする政府及び政府関係機関による国際協力活動の公的資金であり、Official Development Assistance(政府開発援助)の略称である。
**** 1981年にマレーシアのマハティール首相が提唱して始まった、日本の発展の原動力となった知識・技術および国民の労働倫理、勤労意欲などを学ぶ「東方政策」。翌82年に日本とマレーシアが共同で開始した同名のプロジェクトで、日本への留学や職業人対象の研修にこれまで2万6千人以上が参加した。マレーシアの経済・社会の発展と経済基盤の確立に寄与するとともに、両国が相互理解を深める機会にもなった。