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October 2023

日本の「文化観光」の意義とその可能性

  • 山梨県富士吉田市にある新倉山浅間公園(あらくらやませんげんこうえん)は富士山と五重塔、そして紅葉や桜など四季折々の自然を一度に撮影できる場所として訪日外国人にとても人気が高い。日本人にはあまり知られていなかったが、海外の旅行ガイド誌やSNSで拡散されて世界に知られるようになり、日本人も訪れるようになった。
  • 出羽三山、羽黒山伏(はぐろやまぶし)の修験道文化は1400年の歴史を持つ。毎年大晦日から、明くる元旦にかけて夜を徹して行われる神事、「大松明引き」という火祭りの様子。
    Photo: 鶴岡食文化創造都市推進協議会
  • 同志社大学経済学部経済学科 太下義之教授
  • 山形県鶴岡市の稲刈り後の田と、出羽三山のうちの一つ「月山(がっさん)」。日本の原風景が見られる。
    Photo: 鶴岡観光ナビ
  • 鶴岡市固有の約60種類も継承されている在来作物。だだちゃ豆もその一つ。甘みと濃厚な豆の風味があるのが特徴。Photo: 鶴岡食文化創造都市推進協議会
  • 羽黒山伏の修験道文化とともに発展してきた、羽黒山に伝承された「精進料理」の一例。Photo: 鶴岡食文化創造都市推進協議会
  • 伝統工芸品の一例。十一代大樋長左衛門(年雄)《発見した小惑星 麗凛- Raku Marin》。十一代大樋長左衛門は、伝統的な茶道で用いる陶器を制作しながら現代アートにも取り組み、国内外で活躍している陶芸家。約350年前から続く石川県金沢市の大樋焼(おおひやき)の伝統を継承する。
    Photo: 大樋美術館
  • 工芸をテーマにした展覧会「GO FOR KOGEI」の展示の様子。富山市の街中を展示会場にして開催された。Photo: GO FOR KOGEI事務局/Nik van der Giesen
山梨県富士吉田市にある新倉山浅間公園(あらくらやませんげんこうえん)は富士山と五重塔、そして紅葉や桜など四季折々の自然を一度に撮影できる場所として訪日外国人にとても人気が高い。日本人にはあまり知られていなかったが、海外の旅行ガイド誌やSNSで拡散されて世界に知られるようになり、日本人も訪れるようになった。

日本では、美術館、博物館等の文化観光拠点施設*を中核とした地域における文化観光を政府が推進している。文化政策の研究者であり、政府や地方自治体の文化政策に関する数々の審議会の委員を務めている同志社大学の太下義之(おおした よしゆき)教授に、日本の文化観光についてお話を伺った。

同志社大学経済学部経済学科 太下義之教授

日本政府が推し進めている「文化観光」について、「観光」との違いなども含めて、そのコンセプトや意義を教えてください。

そもそも「観光」という言葉は、その訪れた地域の「文化」と「風景」を見る、知ることです。普段、美術館や博物館に行かない人も、パリに旅行したら、ルーブル美術館に行きたいと考える人は多いでしょう。こうした行動が「文化」についての理解を深めるための「観光」、すなわち「文化観光」なんです。「文化」と「観光」は両輪のように二つで一つ、切っても切り離せない関係にあります。

「観光」の原点は、「グランドツアー」という17世紀から18世紀のヨーロッパの上流階級の若者たちが大人の貴族社会に入る前に、他国の文化や歴史を見て回る教育的な旅行にあると言われています。その「観光」の本質に立ち返るような法律が、日本において2020年に制定されました。文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律、いわゆる「文化観光推進法」です。地域にある文化観光拠点施設を中心として、文化と観光の振興と地域自体を活性化して、さらに経済効果として文化の振興に再投資されるという、好循環を生み出すのが、この法律の目的です。

地域が文化観光を推進していくことによって、来訪者、あるいはその地域の住民、それぞれにとってどのような効果、メリットをもたらすのかについて、具体的な事例も含めて教えていただけますでしょうか。

当該の地域には二つのメリットがもたらされると考えます。一つ目は、経済的効果で、二つ目は文化的効果です。

一つ目の経済的効果とは、前述した文化観光推進法の目的にも関連するように地域でお金が循環するメリットです。

二つ目の文化的効果ですが、それを得るためには、まず、海外からのお客さまを想定した際に、前提としてその魅力をうまく伝えるための情報発信=第三者目線、観光客目線で日常にある文化を言語化することが必要なのです。例えば、歴史を伝えるときに「江戸時代」という日本独自の時代区分では伝わりません。「17世紀初頭から19世紀後半半ば」などと説明を置き換える必要があります。そして、例えば1700年代には当時の世界がどのような状況であったのかと比較するなど、全く日本文化を知らない人でもわかるように配慮した説明を心がけていくと、海外の人たちも理解でき、はじめて日本文化へ興味や理解が深まっていくわけです。また、今はS N Sによる個人型発信の時代なので、受け止めた彼らが発信者となって日本の文化を広め、さらに彼らの視点で新しい魅力を発見する広がりも生まれてきています。

一方で、私たち日本人にとっても文化観光を推進することはメリットがあります。地域の人たちが地元の魅力を再認識するきっかけになるでしょうし、海外の方向けの何らかの言語化したテキスト情報は日本語に再翻訳すると、国内の子どもたちにとっても、とてもよい日本文化の教材にもなるでしょう。子どもたちは、日本文化についての知識がないという意味では外国人と同じだからです。文化観光を推進することは、単なる観光分野のみの政策ではなく、他分野にも効果が大きく広がっていく政策になるのではないかと期待しています。

海外からの観光客に、実際に来て見ていただきたい、体験していただきたいといった日本の文化観光の事例がありますでしょうか? 合わせて、海外の方々へお伝えしたい日本の文化観光の魅力についてお話しください。

日本の「食文化」と「工芸」でしょうか。日本政府観光局(J N T O)の訪日外国人の旅行で期待していること、満足したことの調査結果で、どちらも"食"は1位です。しかしながら、その順位だけに満足せず、どうして日本の食がおいしいのか、その理由をロジカルに説明することが大切だとも考えています。例えば、日本の食文化には、日本の国土の特徴が影響しています。細長い日本列島に連なる山脈などが良質な水を蓄え、その恵まれた水により農業が発達。更には海に囲まれた地形で、生食が発達するほど海産物も豊富です。例えば、京料理は食べ物のおいしさだけでなく、盛り付ける器や調度品、空間にいたるまで京都らしさを表現しています。地域で発達してきた歴史を持つ食文化こそ、日本を訪れないと体験できない文化観光の一つだと思います。現地に赴き、なぜおいしいのか説明を受けながら、食べていただくことは、とても貴重な文化体験になることと思います。

そのような豊かな食文化が体験できる地域として、山形県鶴岡市を例にあげたいと思います。2014年にユネスコ創造都市ネットワーク**への加盟が認定され、日本で初めての食文化分野でのユネスコ創造都市になりました。四季の変化がもたらす独特の気候により、日本有数の米どころでもあるとともに、多種多様な農産物が採れ、野菜、果樹、穀類など60品種ほどの在来作物が受け継がれています。また、修験道(しゅげんどう)***で信仰される出羽三山(でわさんざん)****があり、精進料理*****も発達した土地柄なので、多様で豊かな食の魅力に触れることができるでしょう。

山形県鶴岡市の稲刈り後の田と、出羽三山のうちの一つ「月山(がっさん)」。日本の原風景が見られる。Photo: 鶴岡観光ナビ
鶴岡市固有の約60種類も継承されている在来作物。だだちゃ豆もその一つ。甘みと濃厚な豆の風味があるのが特徴。Photo: 鶴岡食文化創造都市推進協議会
出羽三山、羽黒山伏(はぐろやまぶし)の修験道文化は1400年の歴史を持つ。毎年大晦日から、明くる元旦にかけて夜を徹して行われる神事、「大松明引き」という火祭りの様子。Photo: 鶴岡食文化創造都市推進協議会
羽黒山伏の修験道文化とともに発展してきた、羽黒山に伝承された「精進料理」の一例。Photo: 鶴岡食文化創造都市推進協議会

あともう一つは、「工芸」です。「工芸」は英訳すると「クラフト」ですが、最近はあえて英語に訳さず「Kogei」と呼ぶ流れが出てきています。美術の価値観は欧米で長い間、作られてきたもので、「アート」は"純粋芸術"を指します。たとえ、美しさが宿っているものでも、何か目的を持って作られたようなものは「クラフト」であって、「アート」ではないという線引きです。でも、それは日本の美の価値観とちょっと違いますよね。日本人は「クラフト」を「アート」と比較して、一段低いものとは考えてこなかった。むしろそのような美にこそ、本当の美があるとすら考えてきました。そんな日本人が考える、美しさと実用的な価値を合わせもつ"用の美"という価値観をアピールすることは、外国人にとっても新鮮な価値観です。しかも工芸の良いところは、実際に購入できること。日本全国、各地に多種多用な「工芸品」があるので、それぞれの地域の工芸品が価値あるものとして周知されれば、そこは経済循環するようになって、制作する側も生業として基盤が安定し、後継者問題も解決に向かうなど、よい効果が出てくるはずです。お土産品に終わらせず、「Kogei」という言葉を用いて価値が認識されると、もっと伸びていく分野だと思います。

現に、この流れは始まっていて石川県、富山県、福井県の3県で開催している「GO FOR KOGEI」******という大きなアートイベントがよい例です。開催地はどこも工芸が盛んな場所で、「アート」と肩を並べるように、「Kogei」の価値を発信しています。

日本人として日本文化を再認識しながら、海外の方へも発信する、「文化観光」を推し進めることは、回り回って、国内の様々な分野にもよい影響をもたらすものだと考えています。

伝統工芸品の一例。十一代大樋長左衛門(年雄)《発見した小惑星 麗凛- Raku Marin》。十一代大樋長左衛門は、伝統的な茶道で用いる陶器を制作しながら現代アートにも取り組み、国内外で活躍している陶芸家。約350年前から続く石川県金沢市の大樋焼(おおひやき)の伝統を継承する。Photo: 大樋美術館
工芸をテーマにした展覧会「GO FOR KOGEI」の展示の様子。富山市の街中を展示会場にして開催された。Photo: GO FOR KOGEI事務局/Nik van der Giesen

* 文化観光推進法の中で定められた、日本の博物館等の文化施設のうち、文化についての理解を深めるための解説や紹介を行い、観光関係者と連携することにより、地域における文化観光の推進の拠点となる施設。
** ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が2004年に創設した新しい取組。創造的・地域産業の振興、文化の多様性の保護、世界の持続可能的な発展に貢献することを目的に、それぞれの地域の活性化を目指す都市同士が、国際的な連携と相互交流を行うことを支援する枠組み。食文化のほか、文学、映画、音楽、クラフト&フォークアート、デザイン、メディアアートの七つの分野がある。
*** 日本古来の山岳信仰に、仏教や密教などの影響を受けてかたち作られ、山での修行に身を置く日本独自の信仰形態。
**** 山形県鶴岡市、西川町、庄内町にまたがる月山、羽黒山、湯殿山の三つの山の総称。
***** 仏教の教えに基づく、肉類や魚類を使わない植物性の食事のことを指す。僧侶たちの食事として発展してきた。
****** 2020年から始まった、富山、石川、福井を舞台に、工芸の魅力を今日的な視点から発信する祭典。現代アートのアーティストの展覧会などを開催している。