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June 2023

振袖 白茶縮緬地梅樹衝立鷹模様(しろちゃちりめんじ ばいじゅ ついたて たかもよう)

  • 振袖 白茶縮緬地梅樹衝立鷹模様 江戸時代・18世紀
    17世紀の末から18世紀前半にかけて流行した「友禅染」の技法による作品。友禅染は、まるで絵画のような模様を染めることができる画期的な技法でした。
    出典:ColBase
  • 振袖 白茶縮緬地梅樹衝立鷹模様(背面部分) 江戸時代・18世紀
    赤、青、黄、黒の4色で染めます。4色を混ぜてさまざまな色彩を表現しました。糊で描いた白い輪郭線や刷毛や筆による繊細な暈(ぼか)し染が友禅染の特色です。
  • 友禅染の制作過程1:模様の輪郭線に相当する糊糸目(のりいとめ)を置く(描く)、東京手描(てがき)友禅作家・岩間奨(いわま すすむ)氏
    柿渋を塗った和紙を円錐状に丸め、口金の先から細く糊を絞り出しながら模様の輪郭を描きます。熟練の技が必要です。
  • 友禅染の制作過程2:糊糸目を置いた後、染料で染める色挿(さ)しを行う東京手描友禅作家・岩間奨氏
    輪郭に沿って糊を置くと、染料を刷毛(はけ)や筆で染めても、輪郭から染料が染み出すことはありません。繊細な暈(ぼか)し染も可能となりました。
  • 振袖姿の若衆を描いた奥村政信(おくむら まさのぶ)筆「小倉山荘図」(東京国立博物館所蔵)
    出典:ColBase
振袖 白茶縮緬地梅樹衝立鷹模様 江戸時代・18世紀
17世紀の末から18世紀前半にかけて流行した「友禅染」の技法による作品。友禅染は、まるで絵画のような模様を染めることができる画期的な技法でした。
出典:ColBase

日本の伝統文化の象徴でもある「キモノ」。その原点は江戸時代(17世紀初頭~19世紀後半半ば)の「小袖」や「振袖(ふりそで)」にあります。今回は、江戸時代の若い男女が着用する振袖の代表例を、東京国立博物館のコレクションの中から紹介します。

日本の伝統的な行事だった「鷹狩*」のために飼育された、勇壮な鷹を表わした模様でしょう。日本では、平安時代(794年~12世紀末)には宮廷の行事として鷹狩が行われるようになりました。鎌倉時代(12世紀末~1333年)以降は武将たちの間でも行われるようになり、特に江戸幕府初代将軍・徳川家康が好んだことは有名です。武士のたしなみとして鷹狩の文化が成熟したのが江戸時代のことでした。そこで、この衣装に描かれるような架鷹図(かようず)**がしばしば描かれるようになったのです。

振袖 白茶縮緬地梅樹衝立鷹模様(背面部分) 江戸時代・18世紀
赤、青、黄、黒の4色で染めます。4色を混ぜてさまざまな色彩を表現しました。糊で描いた白い輪郭線や刷毛や筆による繊細な暈(ぼか)し染が友禅染の特色です。

この振袖には、雄々しい鷹がまるで絵画のように描写されています。しかし、その色彩は赤、青、緑、黄、紫など、おおよそ本来の鷹とは無縁の極彩色で染められています。ぐっと目を近づけてみると、模様の輪郭は白く、細い線で染め残されており、実に繊細なタッチで色彩に暈(ぼか)しが入っています。絵画のようでありながら、絵画ではない、これが、日本で独自に発展した「友禅染(ゆうぜんぞめ)」の妙技なのです。白い輪郭線は糯米(もちごめ)でできた糊でごく細く描き、染料で染める際、染料が輪郭の外へにじみ出ないように堰(せき)止めする役割を果たします(写真「友禅染の制作過程」参照)。だから、輪郭もくっきりと鮮やかに、多彩な模様が染められたのです。なお、糊は、染め終わった後、水で洗い流され、そのあとが白い輪郭線となります。

鷹図屏風 室町時代・16世紀 6曲1隻 岡崎正也氏寄贈
鎌倉時代より武家社会で「鷹狩」が行われるようになり、鷹匠が鷹狩のための鷹を飼育するようになりました。
出典:ColBase

衝立(ついたて)に留まる鷹を全身に染めた艶(あで)やかなこの衣装は、袖の長さが70㎝ほどある「振袖」です。振袖は、元来、未婚の若い男女が着用し、江戸時代中期から後期にかけて、次第に長くなっていきました。当時、模様には言外の意味がこめられ、どのような素性の人が着用した衣装であるかをほのめかしています。1716年に発行された小袖模様を描いた版本『雛形都風俗***』には「野郎風俗」というテーマの中に「男向(おとこむき)」として、鷹模様の振袖が掲載されていました。一見、女性もののような華やかな模様ですが、武士が好む鷹狩の模様はむしろ男性にふさわしいものです。さらに、鷹が留まる衝立の表面の模様をつなげると、雪が積もる梅樹が寒さに耐えて花開き、裾から立ち上がるみずみずしい模様となっています。井原西鶴著『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)****』にも記されるように、若衆*****は「初梅(はつうめ)」に喩えられていました。一方、江戸時代、日本では、若い少年を年長の男性が愛でることが、文化の一つであったことが知られています。装いは、若衆の重要な要素だったことから、若衆向けの流行模様は、雛形本***もしばしば特集されたのです。この振袖は15歳から18歳頃の少年が着用し、その美しさを誇ったことでしょう。

友禅染の制作過程1:模様の輪郭線に相当する糊糸目(のりいとめ)を置く(描く)、東京手描(てがき)友禅作家・岩間奨(いわま すすむ)氏
柿渋を塗った和紙を円錐状に丸め、口金の先から細く糊を絞り出しながら模様の輪郭を描きます。熟練の技が必要です。
友禅染の制作過程2:糊糸目を置いた後、染料で染める色挿(さ)しを行う東京手描友禅作家・岩間奨氏
輪郭に沿って糊を置くと、染料を刷毛(はけ)や筆で染めても、輪郭から染料が染み出すことはありません。繊細な暈(ぼか)し染も可能となりました。

* 飼い慣らして訓練した鷹や隼(はやぶさ)などを山野に放ち、野鳥や小獣を捕らえさせる狩猟。
** 鷹狩用の止まり木、架(ほこ)の上で羽を休める鷹の姿を描いたもの。この振袖には、止まり木の代わりに衝立が描かれている。
*** 当時のデザイン見本集「雛形本」の一つで、木版刷りの冊子として出版された。現代のファッション誌を見るような感覚で読まれていたと考えられる。
**** 井原西鶴(いはら さいかく。1642年~1693年)は、江戸時代の代表的文学者の一人。「男色大鑑」は、1687年刊行された、武家や歌舞伎若衆の、男子間の愛の40話を載せる。
***** 若手の歌舞伎役者のことを「若衆」と称し、当時は、舞台に出るほか、男性の恋愛の相手もしていた。

振袖姿の若衆を描いた奥村政信(おくむら まさのぶ)筆「小倉山荘図」(東京国立博物館所蔵)
出典:ColBase

東京国立博物館のYouTubeにて、友禅染の紹介動画を配信しています。