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June 2023

日本における傘の歴史と祭礼における傘の意味

  • 12世紀以降、庶民たちにも傘が広まった。日傘を差す様子が見られる。『一遍聖繪』より
    Photo: 国立国会図書館
  • 賀茂祭で大傘を持つ様子。『年中行事絵巻』より
    Photo: 国立国会図書館
  • 段上 達雄 別府大学文学部史学・文化財学科特任教授
  • 奈良国立博物館の十一面観音像の頭上には花の天蓋が描かれている。
    Photo: ColBase
  • 祇園祭で巫女(みこ)が騎乗しつつも傘を自分で差している様子。『年中行事絵巻』
    Photo: 国立国会図書館
  • 京都・祇園祭での大きな傘鉾。行列で練り歩く
  • 京都・葵祭(賀茂祭)での花傘
12世紀以降、庶民たちにも傘が広まった。日傘を差す様子が見られる。『一遍聖繪』より Photo: 国立国会図書館

梅雨*の時期がある日本にとって欠かせない傘。「傘」に関する研究論文を多数執筆している、日本民俗学・日本民具学が専門の段上達雄(だんじょう たつお)別府大学文学部特任教授に日本における傘の歴史、祭礼における傘の意味などについて話を伺った。

段上 達雄 別府大学文学部史学・文化財学科特任教授

日本の歴史上、傘が登場するのはいつ頃からでしょうか?

まず、傘の役割ですが、雨や日光をよけるために頭上を覆うものです。形は頭の上に直接かぶる「笠」と、柄がついて手で持つタイプの「傘」と2通りありますが、日本語では発音は同じでも、違う文字をあてて形状の違いを表しています。

日本の歴史上に傘が登場したのは9〜11世紀頃。そのころ使われていたのは、宗教的、政治的に権威がある人に差し掛けるための「差し掛け傘」。それまでは身分の高い人が持つもの、もしくは仏像の頭上や寺の天井に施された天蓋のように、象徴的な神のような存在に対して使われるものでした。実用性のある傘を庶民までが持つようになるのは12世紀以降のことです。

奈良国立博物館の十一面観音像の頭上には花の天蓋が描かれている。
Photo: ColBase

「差し掛け傘」は柄も長く傘の直径も大きく、従者が偉い人に差し掛けるものです。その様子は『年中行事絵巻』の中でうかがい知れます。この絵巻は、後白河天皇**が宮廷内の行事や民間の祭礼などを描かせ、1165年に完成しました。その頃の風俗を伝える資料として研究されています。

その絵巻の中で、京都・賀茂祭(かもさい***)のシーンでは、天皇を補佐する関白(かんぱく)という役職の人に、大きな傘を差し掛けている様子や、傘の上に神社や競馬を再現したミニチュアを乗せた傘が登場します。いずれも権威を表すための凝った傘だと考えられています。

賀茂祭で大傘を持つ様子。『年中行事絵巻』より
Photo: 国立国会図書館

また、同じく京都の八坂(やさか)神社『祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)』****の祭りでは騎乗した巫女*****が、花の飾りが乗った傘を差す様子が描かれているのですが、これは自分で傘を差しています。前出した関白が大きな傘を差し掛けられているのと比べると、巫女の権威は低く見られていたと考えられます。傘の持ち方一つで、当時の地位を窺い知ることができるのです。

祇園祭で巫女(みこ)が騎乗しつつも傘を自分で差している様子。『年中行事絵巻』
Photo: 国立国会図書館

ちなみに、日本だけではなく、3200年ほど前、古代エジプトでも、国王の頭上にさしかける傘が描かれています。フランスのルイ王朝の肖像画でも差し掛ける傘が描かれており、政治や宗教の権威者の象徴として傘が用いられていたのは、洋の東西に共通しています。

和紙を使った「和傘」から、現在の「洋傘」へ移り変わったのはいつ頃のことしょうか。

西洋から「洋傘」が入ってきたのは1853年以降、日本が鎖国を解いたあと、本格的な輸入が始まりました。当時、洋傘は「アンブレラ」、またの名を「蝙蝠(こうもり)傘」と言われていました。なぜかというと、黒い傘骨と傘布の様子が、コウモリの翼を連想したためだろうといわれています。「洋傘」が日本に入ってきて以来、竹製で和紙を使った傘を「和傘」、布製のものを「洋傘」と、使い分けるようになりました。

私が幼かった1960年代には、まだ母たちが和傘を使っていたのを記憶しているので、洋傘が日本に入ってきてからかなり長く併用されていたと思われます。おそらく、女性が日常で和服を着ることが多かった時代は「和傘」を使用していて、その後、和服が着られなくなるとともに、傘も「和傘」から「洋傘」へ急速にシフトしていったと考えられます。和傘の衰退と日常着に洋装が増えていったこととは反比例の関係にあったと言えるでしょう。

日本では、お祭りなどで装飾が施された傘が見られることがあります。お祭りの傘はどのような意味を持つのでしょうか。

世界中で傘は用いられていますが、日本だけの特徴として言えるのが、傘に魂や、神様が降りてくると考えられてきた点です。そのことを「依り代」(よりしろ・神や心霊がよりつく対象物)という言葉で表現します。日本の歴史において、あらゆる事物に魂が宿ると考えるアニミズム信仰が根付いている背景があります。傘がもつ形の特徴が、円形=魂の形に似ている、柄=柱(魂が降りてきやすいものとして考えられていた)に例えられ、魂が宿る「依り代」になりやすいといわれているためです。

寺社で開催される日本のお祭りは、神様への感謝、五穀豊穣、先祖の霊を供養することなどが目的のため、傘が「依り代」として登場するようになったとも考えられています。亡くなった人の霊魂を鎮めることや、傘に疫病を吸い取らせて祓(はら)う役割に始まり、やがて、大きく派手に仕立てることで町の標識にするなど、祭りの「傘」は様々な役割を担ってきたと考えられています。祭りの行列の先頭をかざる「傘鉾(かさぼこ)」と呼ばれる「傘」に装飾がたくさん吊り下げられた大きな屋台は、今では各地の祭りの目玉になっていますが、元は「依り代」というところから始まったものなのです。

京都・祇園祭での大きな傘鉾。行列で練り歩く

傘を使った、日本で見られる有名なお祭りを教えてください。

現在でも「傘」が使われている祭りは日本各地にあります。京都市の今宮神社で毎年4月に行われる、『やすらい祭り』では、疫病神を桜や椿がついた傘で吸い取り(憑依(ひょうい))、神社へ閉じ込めるための、疫病を払うための道具として使われています。同じく、京都市の『葵祭』(あおいまつり。加茂祭とも呼ぶ***)や『時代祭』******では、和傘にたくさんの花を飾った「風流傘」を手に持ち、行列する様を見ることができます。

また、長崎市で毎年10月に行われる『長崎くんち』は、傘鉾が町の印として発展してきたものです。町ごとに、趣向を凝らした100kgはある重い傘鉾を1人で担いで回すという、パフォーマンスが見られます。『博多どんたく」でも、傘鉾が町の印として、趣向を凝らした傘鉾が登場し、傘鉾の下をくぐると、無病息災のご利益があるともいわれています。

私は、日本のお祭りを彩る傘にすっかり魅了されて、長く研究を続けることになりました。傘という視点からお祭りを見てみると、新しい楽しさがあるかもしれません。日本でお祭りを見る機会がありましたら、ぜひとも、傘にも着目していただきたいと思います。

京都・葵祭(賀茂祭)での花傘

* 梅雨とは、「ばいう」または「つゆ」と読み、6上旬〜7月下旬にかけて、雨が多くなる時期のこと。日本をはじめ、東アジアから東南アジアにかけてみられる。
** 後白河天皇は、1127年生まれ~1192年没。第77代の天皇。
*** 賀茂祭は、京都市に所在する上賀茂神社と下賀茂神社で行われる祭り。京都三大祭として有名な『葵祭」の正式名称。毎年5月に行われる京都最古の祭りとしても知られる。
**** 祇園御霊会とは、京都市の八坂神社で行われる『祇園祭』の古い名称。疫病災厄を鎮めるために始まった。毎年7月に1ヶ月にわたり開催。
*****巫女とは神社での職の一つ。神に仕え、神社で披露される奉納の歌舞や祈祷を行うなど、神職の補佐の役割をする者。
****** 時代祭とは、京都市の平安神宮で毎年10月22日に行われる祭り。8世期〜19世紀に至る、各時代の時代考証を重ねた衣装を着た約2000人の市民が行列をするのが特徴。