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October 2022

智積院の金碧障壁画の傑作

京都市の智積院(ちしゃくいん)では、16世紀末に描かれた、金箔を画面全体に使った金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)の傑作を見ることができる。

日本では、9世紀頃から、貴族あるいは富裕層などの邸宅において、襖(ふすま)*、壁面、天井など住宅建築の一部に絵画が描かれるようになり、これを「障壁画」と呼んでいる。壁面へ直に描く壁画と違って、障壁画は描いた絵を貼り付ける点で、区別されている。特に襖は、大画面となることから、絵師たちは思う存分腕を振るって室内空間を絵画で演出した。

障壁画の様式の一つが、金碧障壁画である。金碧障壁画は、天井高の襖、壁面の全面に、下地として金箔**を貼り、その上に、群青(ぐんじょう)、緑青(ろくしょう)あるいは代赭(たいしゃ)***などの顔料を用いて花鳥風月などが描かれ、豪華絢爛たる画面が特徴だ。特に、戦乱の世から太平の世へ向かって世の中が動いていった16世紀後半から17世紀初頭にかけて、時の権力者たちの城や邸宅の装飾目的で、金碧障壁画は盛んに制作され、数々の名品が生み出されていった。

そのような金碧障壁画の中でも、最高傑作と称賛される作品が、京都市東山区の智積院にある。障壁画を手掛けたのは、絵師・長谷川等伯(はせがわ とうはく。以下「等伯」)(1539〜1610年)と息子の久蔵(きゅうぞう)(1568〜1593年)及びその一門だ。等伯は、金碧障壁画や水墨画で名高い日本の絵画史を代表する絵師の一人である。智積院は、等伯らの絵師による金碧障壁画を所蔵しているが、そのうち5点が日本政府から国宝に指定されている。

これらの中でも特に目をひくのは、父・等伯の『楓(かえで)図』(国宝)と息子・久蔵の『桜図』(国宝)だろう。25歳の久蔵が描いた『桜図』は、縦179.5センチメートル、横649.5センチメートルの大画面一面に金箔が施され、その上に今は盛りと咲く桜を描いてはいるものの、華やかな外観の影に、どこか繊細ではかなげな印象を見てとれる。

「か細い枝に繊細に描かれた『桜図』の白い八重桜は、近くから見ると花びらの一部が盛り上がっているのが分かりますが、これは貝殻を砕いて作った胡粉(ごふん)を塗り重ねて立体感を出す『盛り上げ胡粉』という高度な技法が用いられています。描かれてから400年も経った現在では全て剥がれ落ちていてもおかしくないのですが、今でも花びらが残っている部分があるのは、高い技術力の証だといえるでしょう」と智積院の学芸員・井上真美(いのうえ まみ)さんは説明する。

ところが、久蔵はこの見事な作品を描いた翌年、26歳の若さで亡くなってしまう。父を超えるとも言われ、将来を嘱望された才能は、まるで桜の花びらのように、はかなく散ってしまったのだ。

一方、『楓図』は、55歳の等伯が、息子の死に打ちひしがれながらも、自らを鼓舞して描いたと言われる。縦180.0センチメートル、横563.0センチメートルの画面一面に金箔で下地が施され、きらびやかな背景の中、中央に描かれた楓の幹の力強さと左右に描かれた枝葉の繊細さとの対比が見事に表現されている。色づいた紅葉と、散りばめられた色とりどりの秋草が金箔に映え、荘厳な美を感じさせる。生と死、この世とあの世とが同時に描かれているようにも受け取れる。

両方の作品とも画面全体に金箔が施されているものの、「楓図」の方は宗教画のような荘厳な輝きであるのに対して、「桜図」の方は散り行く前の夜桜を照らす月明りのような繊細な光を放っているように見えるのも興味深い。

「智積院に受け継がれた障壁画は、火災や盗難などの被害に遭いながらも、そのたびに僧侶たちの『この絵だけは守らねば』という強い信念によって救出されてきました。この絵が今も残り、描かれた当時の姿をとどめているのは、大切に守り抜いてきた先人たちの思いがあったからです」と智積院・教化部部長の服部融亮(はっとり ゆうりょう)さんは強調した。

智積院では、これまで露出展示をしてきたこれらの障壁画を、2023年4月に完成する新たな収蔵庫で保存する予定である****。専用のガラスケース内で保管し、温度や湿度、照度なども適切に保ち、金色に輝く国宝を次の世代に受け継いでいく考えだ。

長谷川久蔵筆「桜図」(国宝 智積院蔵。縦179.5センチメートル、横649.5センチメートル)
長谷川等伯筆「楓図」(国宝 智積院蔵。縦180.0センチメートル、横563.0センチメートル)

* 木で骨組みを作り、その両面に紙または布を張った建具。
** 金を少量の銀や銅とともにつぶしてかなり薄く延ばし、箔状態にしたもの。
*** 群青(ぐんじょう)はあざやかな青色の鉱物性顔料。緑青(ろくしょう)は孔雀石を原料とする緑色の顔料。代赭(たいしゃ)は、赤鉄鉱を原料とする黄褐色や赤褐色の顔料。
**** 2022年11月17日から2023年4月3日まで、長谷川等伯らによる障壁画は全て拝観中止となる。