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  • 大分県臼杵市所在古園石仏群の高さ約2.8メートルの「大日如来像」(国宝)
  • ホキ石仏群
  • 大日如来像の細部

October 2021

時の流れを映す磨崖仏

大分県臼杵市所在古園石仏群の高さ約2.8メートルの「大日如来像」(国宝)

国宝に指定された大分県臼杵市(うすきし)の磨崖仏*(まがいぶつ)は、繊細で優美な彫りで知られ、表情豊かな仏の姿は、見る者の心にやすらぎを与える。

大日如来像の細部

森林資源に恵まれた日本では、建物、家具や道具に至るまで木を主に使う文化が根づいており、仏像も木で作られる場合が多かった。石で作られた仏像について、日本ではあまり普及しなかったものの、いくつかの地域でインドや中国に見られるような磨崖仏(まがいぶつ)が作られた。その一つ、大分県臼杵市の「国宝・特別史跡臼杵磨崖仏」は、その規模と数量において、また、彫刻の質の高さにおいて日本を代表する磨崖仏群と言われている。ひとまとめに「臼杵磨崖仏」と呼ばれるが、実際は、ホキ石仏第一群を始め、ホキ石仏第二群、山王山石仏(さんのうさんせきぶつ)、古園石仏(ふるぞのせきぶつ)の4つの磨崖仏群が山の斜面に点在している。自然の崖に直接掘られたこれらの仏像は、高さが約1メートルから、最大約2.8メートルまで、合計61体がのこされている。

実は、これらの磨崖仏は、いつ、誰が、何のために作ったのかは定かではない。臼杵市教育委員会文化財研究室の神田高士(かんだ たかし)室長は「12世紀の終わりごろ、この地を治めていた大神(おおが)氏が、一族の変わらぬ繁栄を願い、決してその場所から動かされることのない自然の崖に仏像を彫らせたのではないかという説が有力です」と言う。 その特徴を神田さんは次のように語る。

「臼杵磨崖仏が貴重とされるのは、磨崖仏では珍しい繊細で優美な彫りが見られることです。磨崖仏が彫られている場所は、大分県に隣接する熊本県の阿蘇山が噴火した際に流れ出た火砕流が固まった阿蘇熔結凝灰岩で、この石は木材に近い加工のしやすさがあったこと、そして、ちょうど木彫りの仏像の技術が確立された時代であったことから、その技術を磨崖仏作りにも応用できたことなどが重なって、このような美しい磨崖仏ができたようです」

ホキ石仏群

磨崖仏が作られた当初は建屋で覆われおり、風雨を直接受けなかったが、やがて建屋は崩壊。長い間、野ざらし状態となり、頭部や腕など一部が崩落した仏像も少なくなかった。ところが、その朽ちた姿に目を止めた一人の写真家がいた。リアリズムを求め続けた著名な写真家、土門拳(どもん けん・1909-1990)である。彼は、磨崖仏の朽ちたままの姿を撮影し、自身の写真集に掲載したのである。このことがきっかけとなり、臼杵磨崖仏は一躍有名になった。そのため、臼杵磨崖仏は、自然に朽ちたような状態が、一種の美として捉えられてきた傾向があった。

しかし、1980年から1993年にかけて行われた大規模な保存修理が行われ、脱落していた磨崖仏の部材の多くがもとの位置に復位された。さらに、風雨や気温低下から磨崖仏を守るための覆屋が整備された。

また、元の位置に戻すことのできなかった仏像の一部については、修復方法が確立するまで、収蔵庫で保管されている。しかし、修復を完了させるのは容易ではない。

「臼杵磨崖仏は、この位置にこの部材があっただろうと単に想像して復元されているのではありません。脱落してしまった部分がもともとどの場所にあり、作られた当時、実際にどのような形状をしていたかが把握できてはじめて修復する意味が生まれます」と同教育委員会の鎌谷涼平(かまたに りょうへい)さんは話す。

磨崖仏が彫られた当時から今に至るまでの時の流れを伝える臼杵磨崖仏。作者も、その制作の目的も明確には分からないままだが、およそ900年前の時代に生きた人々の思いやエネルギーを、磨崖仏それぞれ表情から感じ取れるようである。

* 自然界にある岩壁や崖に直接彫り込まれた仏像