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February 2021

禅宗寺院建築の傑作

白い砂が敷かれた庭園から臨む瑞龍寺

富山県高岡市にある瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、壮麗ながらも、整然とした伽藍配置から醸し出される静寂なたたずまいを見せている。

法堂

1663年に建立された富山県高岡市の高岡山瑞龍寺(以下、瑞龍寺)は、江戸時代(1603~1867年)の禅宗様式の寺院を代表する建築と言われ、境内の建物のうち、山門、仏殿、法堂(はっとう)の三つが国宝に指定されている。

瑞龍寺の最大の特徴は伽藍配置にある。伽藍とは寺院の建築物のことで、総門、山門、仏殿、法堂と4つの主要な建物が一直線に配置されている。この配置は、高さ18メートルの山門で二つの空間に分かれている。総門から山門までは枯山水(石庭)の単純な白砂の静寂なたたずまい、そして山門をくぐってから法堂までは、緑の芝生が広がる厳かな祈りの空間である。

この山門から始まる祈りの空間は、周囲を約300メートルにわたって回廊が山門と一番奥の法堂を結ぶように、取り囲んでいる。その中心に瑞龍寺の本尊「釈迦如来像」を祀る仏殿が建つ。回廊の左側(南側)に座禅所「僧堂」、右側に台所「大庫裏」(おおぐり)が対称に配置され、禅宗建築様式を特徴づけている。

法堂の内部

瑞龍寺は、加賀藩の二代藩主前田利長(1562-1614年)の菩提寺として、その弟の三代目利常(1593-1658年)によって、17世紀の半ば、20年余りを要して、現在の地に建てられた。造営を指揮したのは名匠と称えられた藩のお抱え大工頭、山上善右衛門嘉広(やまがみぜんえもんよしひろ)である。彼が最も力を注いだと言われる仏殿には、釈迦如来像と普賢菩薩と文殊菩薩が安置され、その両脇から伸びる高さ13メートル、樹齢600年の欅(けやき)の柱2本が仏殿を支えている。この構造によって、高い天井部の複雑で精緻な屋根の装飾構を堪能できるばかりではなく、読経や鐘の音が響き合う空間となっているのである。仏殿のもう一つの特徴は厚さ3ミリメートル、総重量47トンに達する鉛葺き屋根である。万が一の戦の時に屋根の鉛で鉄砲の弾を作るためのものだと伝えられているという。

「瑞龍寺の造営には、加賀藩の財政がひっ迫するほど膨大な費用がかかったと言われます。そこには利常公の利長公を敬う強い気持ちがあったのでしょう」と瑞龍寺住職の四津谷道宏さんは言う。

利長は高岡の開祖である。1609年に関野台地の荒野を切り拓いて高岡城を築き、城下町を「高岡」と名付けて整備した。利長は鋳物(いもの)産業を奨励する等、高岡の商工業の基礎を築いた。その鋳物産業は高岡の地場産業となり、いまも「高岡銅器」として全国に知られる。ちなみに総檜(ひのき)造りの法堂は銅葺き屋根で、その中央には、利長の巨大な位牌が祀られている。

四津谷さんは、「この伽藍は加賀藩の美意識や財力を誇示しているだけではなく、利長への敬意や、前田家の様々な思いが込められているのです」と言う。

整然とした厳粛さを醸す伽藍配置、禅宗建築様式の素朴さと力強さ、そして細部の美しさは、仏教徒でなくても静かに身を委ねたいという思いに駆られる、そんな瑞龍寺である。