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  • 松江城天守
  • 国宝指定の決め手の一つとなった柱建築構造
  • 「包板」で補強した柱

August 2020

国宝・松江城の天守

松江城天守

日本で築かれた城で、創建当時の姿や構造をほぼそのまま残しているものはわずか12のみであり、その中の一つが、島根県にある「松江城」である。

国宝指定の決め手の一つとなった柱建築構造

松江城は、17世紀初頭、当時の領主であった大名・堀尾吉晴によって、現在の島根県松江市街の中心部に築かれた城である。その後、城主は交替、1638年からは、徳川将軍家の親戚筋に当たる松平家の居城となり、明治時代の廃藩置県まで続いた。実はこの松江城天守は1935年に、日本で最も重要な建築物や美術工芸品に対して日本国政府が認定、登録する「国宝」に指定されたのだが、1950年に指定の根拠となる法律が変わり、指定の見直しが行われた際、国宝から重要文化財へと、変更がなされた。

しかし、この変更は格下げと捉えられ、松江のシンボルである松江城を再び国宝にしたいという市民の願いは強く、市民と行政が連携して、国宝指定のために必要な新たな知見を探す辛抱強い調査研究が続いた。その成果が表れたのが2012年。かつて天守に供えられていたが、長らく行方不明となっていた「慶長十六年(1611年)」と記された、もともと天守の地階(石垣に隠れている地下室部分の階層)にあった祈祷札2枚が松江城内の神社で発見され、松江城天守の完成時期が明確になった。さらに、天守の特徴的な柱構造が解明され、天守建築に優れた技法を用いた事例であるという点が決め手となり、2015年、松江城は「再び」国宝に指定されたのである。

松江城の天守の特徴的な柱構造の一つが、「通し柱」と呼ばれる手法である。地上5階・地下1階、約30メートルの天守を、二階ごと交互に通した柱で支えて天守の荷重を分散させ、強度を保っている。松江城よりも数年早く建てられた姫路城大天守では長大な一本の通し柱で複数層を支えていたが、松江城が築城された時代は全国各地で城の建造が行われており、巨大な材木の入手が容易ではなかったため、こうした構造になったと考えられている。

そうした当時の事情を反映するもう一つの技法が「包板」である。これは、柱に使う木材の表面に板を張って鎹(ホッチキス芯のような鉄釘)や鉄輪(鉄の輪っか)で留めるという技法で、柱の補強を意識したと考えられている。天守を支える308本の柱のうち130本が包板で加工されている。

「包板」で補強した柱

松江城は、長大な木材を使わずに、短い柱を巧みに組み合わせる等独自の技法を用いることで大規模な天守の建築を可能にした、当時としては先駆的な建築物と言える。

国宝再指定後も調査・研究は進み、新たな事実も浮かび上がってきたのだ。

「築城時の天守には、屋根に装飾が施され、今と大きく異なる外観だったと推定されるのです。これまでは、『松江城天守は、築城当時の姿を現在までとどめている』というのが城郭研究者の間でも共通認識でしたから、初期松江城天守は現在とは異なっていたということは、常識を覆す発見と言っていいでしょう」と、松江市歴史まちづくり部史料調査課松江城調査研究室の稲田信室長は語る。

国宝再指定後は、メディアで紹介される機会も増え、国内外からの観光客も増え始める中、松江市は松江城の世界遺産登録を目指している。

稲田さんは、「国宝指定から5年目を迎え、2020年5月には『松江城を守る会』が設立されました。松江城を市民の手で守り、後世に伝えていくことを目的とする会で、今後、松江城に関わる人の輪を広げる機運醸成事業や、既に清掃活動など松江城に関する活動を行っている団体のネットワークづくりといった活動を行っていく予定です。私たちは更なる調査・研究の成果を市民の皆さんと共有、発信することで、松江城の価値に一層磨きをかけていきたい」と、語る。

松江城に関する歴史的事実の次なる発見の知らせを聞く日はそう遠くないかもしれない。

「通し柱」を示した 断面図