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  • 編集者・評論家の山田五郎さん

July 2020

多様性が活力を生み出す街「東京」

編集者・評論家の山田五郎さん


東京は400年以上、日本の政治・経済の中心都市であり、現在は約1,400万人が生活しています。様々な変化を遂げたものもあれば、変わらないものもあります。東京を東京たらしめるものは何でしょうか?編集者・評論家の山田五郎さんに伺いました。

1603年、江戸(現在の東京)に幕府が開かれて以来、東京は日本の政治・経済の中心地として発展してきましたが、どのような地理的特徴を持つ都市とお考えでしょうか。

東京の最大の特徴は、「坂の街」であることだと思います。海や川に近いダウンタウンの商工業街と、丘の上のヒルサイドの住宅街に二分される構造は、世界中の多くの都市に見られます。東京も西の「山の手」と東の「下町」に二分されがちですが、実はそう単純ではありません。山手線の内側、つまり江戸時代からの都心部は、台地と低地が複雑に入り組んだ地形になっていて、「山の手」と「下町」が幾重にも混在しているんですよ。今でも坂が非常に多く、上り下りするたびに街の雰囲気ががらりと変わります。このように複雑で多様な地理的構造を持つ都市は、世界でも珍しいのではないでしょうか。

珍しいと言えば、問屋街や専門店街が今でも都心に多く残っている点も、東京の特徴と言えるでしょう。内外の多くの都市では1960年代以降、都心部の家賃高騰や交通渋滞が深刻化して、問屋街の郊外移転が進みました。東京でも同じ事が起きましたが、それでもまだ日本橋馬喰(ばくろ)町・横山町の繊維問屋街や、浅草近くの合羽橋(かっぱばし)の食器・調理道具問屋街などが残っています。神田神保(じんぼう)町には、今や世界で唯一最大となった古書店街も健在です。そのおかげもあって、欲しいものが何でもすぐ手に入ります。これほど便利で暮らしやすい街はありません。

「坂の街」としての東京を楽しむには、どこがお勧めでしょうか。

俗に「谷根千」(やねせん)と呼ばれる谷中、根津、千駄木あたりを歩いてみてはいかがでしょうか。上野と本郷の台地に挟まれた坂の多い地域で、江戸時代から続く「山の手」と「下町」の雰囲気を一度に味わえます。また上野公園は、これも世界に例がないほどの文化施設密集地。東京国立博物館を始め国立西洋美術館、東京都美術館、国立科学博物館、上野動物園、東京文化会館などが所狭しと並んでいます。このように東京でしか味わえない魅力にあふれる地域だけに、若者や海外からの観光客も多く訪れ、中には住み着いてしまう方も。そういう方たちが新しいお店やギャラリーを開いたりすることで、坂の上下だけでなく世代の新旧から洋の東西まで入り乱れた多様性が生まれています。

江戸時代以来、何が街としての活力を維持してきたとお考えでしょうか。

様々な人々の交流が生む多様性こそが、今も昔も変わらない東京の活力源だと思います。「山の手」と「下町」がパッチワークのように混在する地理的条件も幸いし、江戸時代には坂の上に住む武士と、斜面に建つ寺の僧侶、坂の下に暮らす町人が、俳諧や絵画といった趣味を通じて身分や職業を越えた交流をすることで、独自の文化を発展させました。

1980年代には原宿発のストリートカルチャーが世界に影響を与えましたが、これも異業種交流から生まれました。当時の原宿は新宿や渋谷に比べ家賃が安い物件が多かったため、若いデザイナーやカメラマンやコピーライターなどが自然と集まり、その交流の中から新しい文化が生まれたわけです。

街や文化を創るのは、建物ではなく人なんですよ。関東大震災や東京大空襲で建物がなくなっても東京の活力が失われなかったのは、様々な人たちが住み続け、交流し続けてきたからだと思います。

今後、東京はどのように変化していくとお考えでしょうか。

東京の都心部では、かつてないほど大規模な再開発が進んでいます。少子高齢化で人口が減っていくのに高層ビルを増やすのは矛盾しているようにも思えますが、コンパクトシティ化と考えれば理解できます。江戸開府以来、郊外に向かって膨張し続けてきた東京の街が、都心部に向けて収縮し始めているのではないでしょうか。

外国人観光客や居住者の増加も、今までに経験したことがない変化のひとつです。新型コロナウイルス感染症の流行で、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて盛り上がってきた「おもてなし」マインドが沈滞してしまいましたが、異文化との交流はこれからの東京の新たな活力源として欠かせません。国籍や性別や職業を問わず誰にとっても暮らしやすい環境を整備して、多様性を維持することが、「コロナ後」もますます重要になると思います。