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Highlighting JAPAN

タンチョウが暮らす村

北海道の鶴居村では、長年にわたりタンチョウの保護活動が行われており、冬になると多くのタンチョウが餌を求めて飛来する。

タンチョウは日本最大級の野鳥で、体長1.4メートル、翼を広げると2.4メートルにもなる鶴の一種である。その特徴は、頭頂部が赤く、全身を覆う羽のほとんどは白で、首と翼の一部が黒くなっていることである。越冬のためにシベリアや中国など大陸から渡ってくるナベヅルやマナヅルなどの鶴もいるが、 日本のタンチョウは釧路湿原など北海道東部に一年中生息している。1月から3月にかけて、餌が乏しくなるため、タンチョウは人里近くに設けられた給餌場へと集まってくる。鶴居村にある「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」もその一つである。タンチョウの保護のために設立され、釧路湿原の北端にある広さ約12ヘクタールのサンクチュアリには、冬の間、300羽ほどが餌を求めて飛来してくる。そのため、冬以外は湿原の奥地で生息し、見ることがまれなその姿を観察できる。

現在、タンチョウは北海道東部を中心に生息しているが、江戸時代までは北海道全域で繁殖し、冬にはその一部が東北地方や関東地方の干潟や湿原に渡っていた。

「江戸時代末期の有名な浮世絵師、歌川広重が江戸(現在の東京)の風景の一部としてタンチョウを描いているように、タンチョウは江戸近郊でもごく普通に見られる鳥でした。ところが明治時代になると、乱獲や、開発に伴う湿原や干潟の減少によって急速に数を減らし、全く姿が見られなくなってしまいました」と公益財団法人日本野鳥の会のスタッフで、鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリでチーフレンジャーを務める原田修さんは話す。

一時、日本ではタンチョウは絶滅したと考えられていたが、1924年に釧路湿原で十数羽が発見された。その後、タンチョウは国の特別天然記念物に指定され、保護活動が本格化していった。 

「湿原の川に餌となるドジョウを放流するなど、様々な取組が行われましたが、当初はほとんど効果が上がらなかったようです。そんな状況の中、タンチョウを絶滅から救う大きな力となったのが地域の人たちの自主的な取組でした。サンクチュアリにその名を残している鶴居村の酪農家、故・伊藤良孝さんもその一人でした」と原田さんは言う。

1966年の冬、伊藤さんは自分の牧草地に舞い降りたひとつがいのタンチョウに家畜の飼料、デントコーンを与え始めた。その後も酪農の傍ら、タンチョウへの給餌を続けていくと、厳冬期を生き延び、春には繁殖にも成功するタンチョウの数が少しずつ増えていった。1987年に日本野鳥の会は、伊藤さんから土地を借り受け、鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリを設立した。これが、給餌や観察としての場のみならず、北海道でのタンチョウの生息環境の保全活動の拠点となった。伊藤さんはその後も、2000年に81歳で亡くなるまで、タンチョウの保護に力を尽くした。

北海道による1987年の調査では、383羽しか生息が確認できなかったタンチョウだが、繁殖地となる湿原の保全や冬の間の給餌活動などが功を奏し、現在では約1800羽まで個体数を回復している。こうした成果を受けて、日本野鳥の会はタンチョウの数を増やすことに重点を置いてきた保護活動の転換を図っている。

「越冬期の給餌場にタンチョウが集中すると伝染病の危険が高まりますし、人里が近いため電線や自動車との接触事故、農業被害といった新たな問題も発生しています。タンチョウの保護増殖事業を統括している国(環境省)は、タンチョウの自然分散を促すために給餌量の削減を始めました。私達も、給餌への依存度を下げようと、凍結しない水辺に自然の採食場を17か所整備した他、新規生息地での地域住民のタンチョウ保護活動をサポートしています。何十年かかるか分かりませんが、冬になれば本州でもタンチョウが見られるようになる日を目指して、保護活動を続けていきます」と原田さんは語る。