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Highlighting JAPAN

義足で走る歓びを

義肢装具士の臼井二美男さんは、走る歓びや感動を一人でも多くの人に味わってほしいとの想いで、30年以上にわたりスポーツ義足の開発に取り組んでいる。

1991年設立のスタートラインTOKYO(旧名称:ヘルスエンジェルス)は、義足を使う切断障害者のためのランニングクラブである。わずか数名の仲間でスタートしたクラブは、現在では約220名にまでメンバーが増え、その中からはパラリンピック選手も誕生している。このクラブの創設者であるとともに、日本におけるスポーツ義足製作の第一人者として活躍しているのが臼井二美男さんである。

「やりがいのある仕事が見つからず職業を転々としていた私が、公益財団法人鉄道弘済会の義肢装具サポートセンターに就職したのは28歳の時、今から35年前のことです。当時はまだ義肢装具士という国家資格もなく、先輩の義足づくりを見よう見まねで覚えていきました」と臼井さんは言う。

 臼井さんがスポーツ用義足と出会ったのは仕事を始めて2年ほど経った頃のことだと言う。たまたま新婚旅行の途中に立ち寄ったハワイの義肢装具製作所で「まだ日本にはこんなものはないだろう」と板バネのような形状をしたカーボン製義足を見せられた。当時、走る機能に特化した義足はアメリカでも登場したばかりで、日本には情報はほとんど届いていなかった。興味を持った臼井さんは、帰国後、そのスポーツ用義足を職場の研究材料として購入し、手探りで研究・開発に取り組んでいった。

「それまでの義足で走ろうとすると、スキップのように健足側2歩・義足側1歩の順に足を繰り出すのが一番速かったのです。ところが、カーボン製のスポーツ義足なら、両足を交互に蹴り出せるのです。初めて試走した時は若者数人に来てもらったのですが、中には10歩ほど走った所で急に立ち止まり、涙をぼろぼろ流す子さえいました。足を切断する前、風を切って走っていた頃の感覚が一気によみがえってきたのです。その姿を見た瞬間、『これだ!』って思いました」と臼井さんは当時を振り返る。

 その後、スタートラインTOKYOを立ち上げた臼井さんは、クラブの活動を通じて障害者スポーツに参加する人を増やすとともに、国内の義肢装具メーカーやスポーツ用品メーカーなどと協力して、スポーツ用義足の改良に取り組んできた。その結果、スタートラインTOKYOは日本を代表するパラアスリートを数多く輩出し、臼井さん自身も2000年のシドニー大会以降は、日本代表選手のメカニックとしてパラリンピック選手団に加わってきた。ただし、臼井さんは「皆がパラリンピアンにはなれなくてもいいのです」とも話す。

 現在、スタートラインTOKYOの練習会には、メンバーの中から毎回50名ほど参加するが、そのうちパラリンピック出場などを目指す本格的な競技選手は10名足らずにすぎない。多くはより豊かな日常生活を実現するためランニングを楽しむ人々である。メンバーの年齢も小学1年生から75歳までと非常に幅広く、小児がんで足を切断した後、免疫力を高めるためランニングを続ける小学生もいれば、「40年間走ったことはなかったけれど、生きているうちにもう一度だけ走ってみたい」という夢を実現するためスポーツ用義足を手に入れ、走り始めた高齢者もいる。

「走るという運動は、たくさんの骨や筋肉や関節が一体となって推進力やジャンプ力を生み出すもので、義足には非常に難しい動きなのです。それだけに風を切って軽快に走れるようになれば、その人には大きな自信になり、日常生活での自立性もおのずと高まっていきます。私はそんな走る歓びや感動を一人でも多くの人に味わってほしいのです」