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Highlighting JAPAN

水泳とともに歩む人生

1960年のローマオリンピックで銅メダルを獲得し、国際水泳の殿堂入りもしている竹宇治聰子さんは、現役引退後、ぜん息児を対象とした水泳指導に取り組んでいる。

竹宇治聰子さんは、子どもの頃、近所の池や川に遊ぶことが大好きだった。小学校の水泳大会で優勝したのをきっかけに、中学校で本格的に競泳を始めた。高校1年生でアジア大会に出場し、100メートル背泳ぎで優勝を飾り、

高校3年で出場した1960年ローマ五輪でも同種目で銅メダルを獲得した。

1964年の東京五輪では、4位とメダルには届かなかったものの、自己記録を0秒8も更新したことで、やり遂げた満足感があった。「やっと終わった、自己ベストだから胸を張っていようと思いました」と竹宇治さんは言う。

引退後、ぜん息児のための水泳教室を始めるきっかけとなったのは、長女が小学校1年生の時にぜん息の発作を起こしたことだった。治療中に出会った医師から、「ぜん息治療には水泳が効果的という通説があるが、それを実証するデータを取りたい。協力してほしい」と告げられたのだ。

竹宇治さんは医師と協力して、市民プールを利用した水泳教室を始めた。この教室で得られたデータを厚生労働省に提出したところ、効果が認められ、後に病院内に専用プールが設置されるまでになった。

1989年から始まった東京都江戸川区の教室は、今年で31年目になる。教室は火曜と木曜の週2回で、約120名のぜん息児が参加している。

「ぜん息を持っている子は、つい引っ込み思案になりがちです。でも、水泳に取り組んで少しずつレベルアップするにつれて、表情に自信が満ちあふれてくるのがわかるんです。それが私たちのやりがいですね」と竹宇治さんは言う。

子どもたちは、ピークフロー測定(十分息を吸い込んだ状態から、力いっぱい息を器具に吐き出して息の速さを測り、気道の状態を知る)を行って、ぜん息の状態を確認した後、水着に着替え、初心者から上級まで4クラスに分かれて練習を開始する。各クラスにそれぞれ4名のインストラクターが付いて指導する。プールサイドには医師と看護師が付き添うため、突然の発作にも安全に対応できる。最初は泣いたり、逃げ出そうとする子もいる。しかし、プールサイドに座るところから始めて、少しずつ慣らしていくと、約6か月でほとんどの子が泳げるようになると言う。

「いつ発作が起きるかわからない子たちにとって、毎週、教室に通って運動するのは大変です。でも、それを乗り越えて何年も続けると、ほとんど発作が起こらなくなります。水泳の腹式呼吸が良いのです。それに、湿度が高いので痰が取れやすく、発作も起こりにくい。運動することで食欲も増し、夜はぐっすり眠れるようになる。すると、水泳が楽しくてしょうがなくなるから、子どもは喜んで通うようになるのです」と竹宇治さんは言う。

竹宇治さんは77歳となる現在も、競技者としてマスターズ水泳大会に出場している。

「水泳は、何歳になっても始められます。泳ぐことを通じて、人生を豊かで、楽しいものにしてほしい。そのために、今後も指導を続けていきたいです」

人生の多くの時間を、水泳とともに歩んできた竹宇治さんは、これからも泳ぎ続ける。