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Highlighting JAPAN

日本の近代登山の父が魅せられた上高地

イギリス人のウォルター・ウェストンは、日本に楽しみとしての登山を広めるとともに、世界に日本の美しい山々を紹介した。彼がかつて登り愛した長野県の上高地では彼の業績をたたえ、今でも年に一度「ウェストン祭」が催されている。

長野県松本市にある上高地は、標高約1500メートルの山岳景勝地で、特別名勝及び特別天然記念物として国の文化財に指定されている。梓川に架かる河童橋とそこから眺められる穂高連峰、1945年の焼岳の噴火によって梓川がせき止められて出来た大正池など多くの人気スポットがあり、毎年100万人を超える人々が訪れる。上高地へは、松本市内からバスで1時間半ほどである。なお、上高地の豊かな自然環境を保護するため、1975年から、上高地へのマイカーの乗り入れが通年規制されている。

「初夏には河童橋から、雪が残る穂高連峰の美しい景色を楽しめます。梓川の水は夏でも冷たいですが、穂高連峰の雪解け水が川に流れ込んでいるからなのです」と日本山岳会信濃支部長の米倉逸生さんは言う。

上高地のシンボルの一つである河童橋から、透明に澄んだ梓川右岸を20分ほど下ると、美しい山並みを望むウェストン広場にたどり着く。広場に面した花崗岩路頭にはウォルター・ウェストン(1861-1940)のレリーフがある。

ウェストンは、1888年から1915年にかけて、宣教師として3度日本に長期滞在し、本州中部の飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈からなる日本アルプスや富士山などの山々を登っている。飛騨山脈は「北アルプス」と呼ばれ、上高地はその登山口でもある。

3度の日本滞在の間、1896年にイギリスで出版された『日本アルプスの登山と探検』の中で、彼は自らが登った上高地と穂高連峰、槍ヶ岳などの登山体験と共に当時の日本の民俗・風習を紹介している。

その著書を読んだ岡野金次郎という若い登山愛好家とウェストンの交流が、1905年の日本山岳会(当時は山岳会)の誕生につながった。

「ウェストンが上高地の山々を登った頃、日本の登山とは、“信仰・修行としての山登り”であり、“狩猟など生活のため”の山行きでした。イギリスの「アルパインクラブ」のメンバーだったウェストンは、現代の私たちが楽しむ“レジャー”や“スポーツ”としての登山を紹介し広めていきました」と米倉さんは話す。

山岳会発足後10年余りで、日本人の間に「山を登ることを目的とした楽しみとしての登山」が広まり、ウェストンは「日本近代登山の父」と呼ばれるようになった。1937年、日本政府は彼の功績をたたえて勲章を贈り、日本山岳会がその記念としてウェストン広場にレリーフを設置した。ウェストン広場では、今でも毎年6月第1週の土・日に「ウェストン祭」が開催されている。まず土曜日には、ウェストンがかつて歩いた徳本峠(とくごうとおげ)越えの山道を約8時間余りかけてたどり、翌日はウェストン広場で地元の子供たちによるレリーフへの献花、彼をたたえる詩の朗読や歌の合唱などの式典が行われ、最後に参加者全員がウェストンをしのび黙祷を捧げる。

「2019年6月には、73回目となるウェストン祭を開催しました。いつまでもウェストンの功績と彼が見た時と同じ雄大な景色を継承できることを願っています」と日本山岳会信濃支部、事務局長の古幡開太郎さんは話す。

近年、北アルプスでの登山を楽しむために上高地に宿泊する外国人も増えている。

「雄大な自然に囲まれた上高地に宿泊すると、おのずと健康や自然に感謝する気持ちが湧いてきます。日帰り滞在では体験できない特別な時間を過ごすことになるでしょう」と米倉さんは語る。

ウェストンは先述の著書の中で、北アルプスで登山した時に焼岳の頂上から見下ろした梓川の光景を次のように記している。

「斜面を流れ落ちる清冽な水が谷底で一つになる。その水がまた素晴らしく美味しそうである」

上高地、そして周辺の山々はこの時と変わらぬ美しさを今もたたえている。