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Highlighting JAPAN

土江子ども神楽団:神々をもてなす若きエンターテイナーたち

「里神楽」を踊る島根県の土江子ども神楽団は、結成から約140年が経った今も、この国の神々をもてなすだけでなく、地元の人々も楽しませ続けている。

日本の古代神話に登場する勇敢な神、スサノオノミコトは、女神クシナダヒメを救うという使命を負っていた。しかし、そのためには8つの頭、8つの尾を持ち、8つの山と8つの谷にまたがるほど巨大な、火を噴く大蛇(ヤマタノオロチ)を倒さなければならない。スサノオノミコトは大蛇にぐるぐる巻きにされるが、機敏に逃げ出し、刀を優雅に振り抜き、大蛇の頭を一つずつ切り落としていく。

すると、舞台を神社の境内で見守る観客たちから大きな歓声が上がった。舞台で演じられていたのは、日本で最も古い舞台芸術として広く知られる「神楽」の主要演目「大蛇」である。

この日、島根県大田市の土江神社での公演は、一般的な神楽の公演とは少し異なっていた。踊りや演奏に携わる出演者が全て子どもなのである。彼らは、土江子ども神楽団の一員である。この神楽団が正式に設立されたのは1879年だが、そのはるか以前から存在していたと考えられている。実際、太鼓や独特の仮面など、今も残っている神楽の工芸品は300年以上前のものだと、神楽団の団長、楫義行さんは話す。

楫さんによると、戦時中を除き、子ども神楽の伝統は現代まで引き継がれていた。しかし、昨今の少子化問題によって、19年前にも、神楽団は休止を余儀なくされた。「単純に、続けていくのに十分な数の子供がいなかったのです」と楫さんは話す。この地域にあった5つの子ども神楽団が、全てなくなったと言う。

それから数年を経て、神楽団の復活を試みる中、楫さんは神楽団がまた休止することがないよう、数多くの神楽や祭などの行事に出演してきた近隣の神楽団に協力を求めた。そして、2000年に土江子ども神楽団が復活したのである。かつての子ども神楽には遊び的な要素があったが、復活した神楽は、より本格的なものとなり、多くの若者たちの心をつかむことになった。

神楽は、土江子ども神楽団のある島根県西部では畏敬の対象となっている。伝説によれば、天岩戸に隠れてしまった太陽の女神、アマテラスオオミカミを外に出し、光とぬくもりを取り戻すためにアメノウズメが演じたのが神楽であった。長い歴史の中で様々な神楽が発展してきたが、その多くに神道や仏教の要素が取り入れられている。最も初期のものは儀式的だが、それ以外は極めて演劇的で、中には道化芝居のようなものもある。

後者は里神楽(村の神楽)という名称で知られ、当時の政府が神職の演舞を禁じたため、明治時代には民間で広がっていった。伝統的に神職が演じてきた神楽の役割を、徐々に住民たちが担うようになったのである。その後、里神楽は各地で盛んとなり、今日まで演目のレパートリーを増やしながら、地域の祭り、特に秋に演じられるようになっている。

この地域で演じられる里神楽は「石見神楽」として知られ、大田市を含む島根県西部の石見地方にある145余りの神楽団によって演じられている。楫さんによれば、土江子ども神楽団は、石見神楽の中で子どものみで構成される唯一の神楽団で、子どもたちは芝居を演じたり、音楽を演奏したりするだけでなく、踊りの演目を作ったり、振付の一部を担当したりしているという。今では、3歳から15歳までの子どもたちが参加を希望するようになり、人手不足は改善されつつある。実際、年下のメンバーをサポートするために、子供神楽を「引退」した後も週2回のリハーサルに参加し続けている子どもも多いと、楫さんは話す。

森脇ほのかさん(12歳)は、神楽団のメンバーである兄の影響で4歳の時に神楽を始めたが、神楽の最大の魅力は力強い踊りだと言う。「テレビゲームとかでも迫力があるものもありますが、迫力があってもやはり人にしかできないものもあります。神楽には欠かせない、人間の持つ表現力を大切にしたいです」

同じく神楽団のメンバーである安井晄河さん(14歳)は、複雑で、時にはアップテンポにもなる踊りは、重量が30kgに及ぶ華やかな装飾衣装によって、更に難しいものになると話す。4歳の時に神楽を始めたという安井さんによれば「劇はかなり長時間なので、とても疲れます。しかし、他のみんなと同じように、私は小さい頃は大人の神楽の真似をしていました。何年もの間、神楽を見たり踊ったりしてきたのです。私たちにとって、神楽は習慣みたいなものなのです」とのことである。