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Highlighting JAPAN

 

 

21歳の青年のおもてなしが「避暑地・日光」開発の端緒

日本各地の避暑地の開発には、明治初期に来日した外国の政府関係者や商人、宣教師などが影響を与えた例も少なくない。東京近郊の避暑地の一つ、日光では、ステイタスと親しみやすさが同居する「金谷ホテル」に往時のたたずまいを見ることができる。

日光は、戦場ヶ原や中禅寺湖、華厳の滝といった「自然」と、世界遺産である日光東照宮や神橋など「歴史」という2つの魅力を持つ場所である。そこを訪れる国内外の観光客を150年近くもてなしてきたのが、日光随一の老舗「金谷ホテル」である。金谷ホテル歴史館館長/プロジェクト・マネージャーの坂巻清美さんに誕生の経緯を伺った。

「東照宮の雅楽師を代々勤める金谷家に生まれた楽人だった金谷善一郎が、1870年(明治3年)、日光見物に来て宿が取れず途方に暮れていたアメリカ人、ジェームズ・ヘボン博士を自宅に泊めた事が、日本最古のリゾートホテル・金谷ホテルの出発点でした。その時ヘボン博士は『これからの時代、多くの外国人観光客が日光を訪れるはず。外国人用の宿泊施設を作っては』と善一郎に助言したのです。また、その前年にはイギリス公使館員のアーネスト・サトウが横浜の英字新聞で日光の魅力を紹介しており、外国人の注目が日光に集まり始めていました。そこで善一郎は、武家屋敷だった自宅を一部改装し、1873年に『金谷カテッジイン』として開業したのです。その時、善一郎は若干21歳。外国人自体がまだ極めて珍しい時代で、しかも日光という東京から離れた場所で外国人用の宿泊施設を開いた決断は、並大抵のことではなかったと思います」

1878年にここを訪れたイギリスの女性紀行作家、イザベラ・バードによって、金谷カテッジインの外国人社会における評判は決定的に高まったと坂巻さんは話す。
「バードは後に著した『日本奥地紀行』において隅々まで掃除が行き届いた日本独自の武家屋敷の希少性、風光明媚で快適な日光の豊かな自然、そして善一郎とその家族の言語の壁を越えたホスピタリティなどを紹介しました。この著作を情報源として多くの外国人が金谷カテッジインを訪れるようになったのです。創業から20年後の1893年には東照宮に近い日光市上鉢石町に現在の金谷ホテルをオープンしました。以降、明治後期~大正、昭和にかけて、相対性理論で知られるアルベルト・アインシュタイン、飛行家のチャールズ・リンドバーグ、“奇跡の人”ヘレン・ケラーなど多くの賓客が宿泊されました」

日本の建築美と西洋の家具や備品が融合したたたずまいは今も明治時代の趣が色濃く、国内外の宿泊客を時間旅行へ誘う。ヨーロピアン調のしつらえが優雅なメインダイニングでは、歴代の料理長から受け継がれてきた伝統のフランス料理を堪能できる。
2003年には放送作家・小山薫堂氏が顧問に就任し、土蔵に眠っていた古いレシピの復刻や、「ホテルinホテル」と銘打ったスイートルームの設置などを実現。メディアを通じて改めて脚光を集め、ファミリーやカップルなど多様な宿泊客も訪れるようになった。
明治初期に灯された善一郎の「おもてなしの心」は、これからも避暑地・日光で変わらずに受け継がれていくだろう。