Home > Highlighting JAPAN > Highlighting Japan October 2018 > 明治150年

Highlighting JAPAN

日本近代化の始まり~明治時代の価値~

明治以降の150年とは、日本の歴史にとってどのような価値と意味を持つ道のりだったのか。日本固有の元号がもたらす意識、日本の近代化の歩み、日本の議会制度の始まりについて、政治史学者・御厨貴さんに伺う。

明治150年の歩みには、日本近現代史上、どのような価値と意味があったのでしょうか。

日本でも若い世代は元号ではなく西暦で考える人の多い現代、偶然にも天皇陛下のご退位が決定し平成が30年で終わることによって、現代の日本人は元号を改めて意識しました。その結果、明治を含めて日本特有の元号というものが歴史の記憶と共に立体的に生き生きとよみがえってきたと思います。

明治150年がもたらしたもの、それはひとえに日本の近代化でした。中世・近世には侍の国であった日本は、明治維新(1868年)をきっかけに立憲君主国として国際社会へ羽ばたき、大日本帝国憲法、そして日本国憲法体制へと進むことで君主主権から国民主権の国になりました。明治初期の激動の20年間には、当時の政治家たちがどのような国家像を目指したのかが非常に鮮やかに見て取れます。殖産興業による産業育成、国土計画による治山治水とインフラ整備、そして国際政治史上まれに見るスピーディーな憲法制定や内閣・議会制度の確立と、明治初期とは「統治できる国家」を目指した建設の時代だったのです。

それらをなぜ、そのつい数十年前まで腰に刀を差した侍たちの国であった日本が成し遂げることができたのかというと、継続的に努力する日本人の勤勉な性質以上に、手本として西洋諸国の視線を意識しながら東洋で初めて近代化するのだという気概や、アジアの模範たれというという緊張感があったからです。多くの学生や政治家や技術者が欧米へ渡って吸収した、社会制度や技術などの様々な知識が、日本の近代化に寄与しました。

明治100年の時(1968年)、日本は高度成長期のただ中にありましたが、150年までに日本は経済の挫折と20世紀から21世紀への転換点であるミレニアムを経験し、多くの自然災害にも見舞われました。ですがその一つ前の世紀の変わり目は明治時代であったことを思うと、明治150年の歩みがどれほど日本にとって貴重な年月であったかがわかります。

明治以降の近代化の歩みで、日本を知ってもらう上で重要と思われることとは何でしょうか。

明治時代の日本では、前途ある若者や女性が欧米での学問を志す留学が目立ち、そこで身につけられた教養や社交術はその後の鹿鳴館外交や政治手腕に大いに活かされました。また、女性教員の育成機関を設けるなど、出身や性別による差別を排して能力のある人材を積極的に育成し、平等な教育政策で多様な入り口をたくさん設けていたのです。

また後世の評価も高い明治の建築からは、外国人の優れた専門家を招きその薫陶を受けた日本人が、やがて独自の和洋の融合を生み出していった様が見て取れます。当時作られた八幡製鉄所や富岡製糸場は、その歴史的価値の高さから近年世界遺産に加えられましたが、製鉄や鉄道、建築など、日本人は技術を柔軟に吸収するのがとてもうまかったのです。

そして何よりも、日本は議会制を否定せずに政党を育て、この国の屋台骨としてきたことです。君主制のもと、欧米諸国には200年かかると言われたところをたった20年で議会制度を設け、2大政党制を確立し、その後の1900年代前半の国際社会の激動の中をアジア初の近代的立憲君主国として歩みました。日本の民主主義を支えたのは、明治以来の合議の精神だったと言えるでしょう。