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Highlighting JAPAN

仕事から学ぶ

多くの外国人と同様、来日前にはほとんど日本語を話せなかったが、仕事を続けながら日本語を覚えている2人を紹介する。

日本政府は、高度人材ポイント制の日本語ボーナスポイントなど、日本語を話せる外国人に対する優遇措置を実施している。

採用にあたって、ある程度の日本語能力を求める企業も少なくない。しかし、来日してから日本語を身に付け、活躍している外国人も多い。インドのデリー出身のカシーシュ・チャウラさんとアメリカのサウスカロライナ州出身のアレックス・シルバーマンそうした人たちだ。

カシーシュ・チャウラさん

カシーシュ・チャウラさんは、携帯電話の販売、オフィス機器、保険の販売など幅広い事業に取り組む「光通信」(従業員数約1万人)にインドでリクルートされ、大学を卒業後、2014年9月、21歳の時に来日した。

「私は海外に行ったことがありませんでした。しかもインドとは文化が全く異なる日本に住むことは非常に大きな挑戦でした」とチャウラさんは言う。「日本語が話せるようになることは無理だと思っていました」

チャウラさんがソフトウェア・エンジニアとして働き始めた東京のオフィスには当時、英語を話せる社員がほとんどいなかった。会社では午前中、毎日、日本語の研修を受けていたが、最初の2か月は全く進歩を感じず、帰国することも頭をよぎった。しかし、会社の上司が開いてくれた誕生日の夕食会で上司に励まされたことがきっかけとなり、日本語習得に本腰を入れるようになった。

「オフィスだけではなく、会社の様々な集まりなどで、日本人と話す機会を可能な限り作りました。すると、どんどん日本語が話せるようになっていったのです」とチャウラさんは言う。「日本人は非常にフレンドリーなので、どこでも友人を作ることができました」

チャウラさんは日本語だけではなく、社内での業務改善の仕事に積極的に取り組んだ。彼が持っていた日本企業のイメージと違い、光通信は意思決定が早く、異なる意見も柔軟に受け入れる企業であった。そして、来日から約1年後、13人の日本人部下を持つマネージャーに昇進した。昨年からは業務改善に加え、7人のインド人の部下や経営陣とともに、国内外の企業調査・買収に関する業務に携わっている。

「入社してわずか2年半で、今のような大きな仕事ができるとは、想像もできませんでした」とチャウラさんは言う「将来は日本で家族を持ちたいです。そして、インドに光通信の支社も設立したいです」

アレックス・シルバーマンさん

アメリカのサウスカロライナ州出身のアレックス・シルバーマンさんは、大学生の時に、日本美術史のクラスをとったことがきっかけで、日本に興味を持つようになった。シルバーマンさんは、英語のネイティブスピーカーや外国人を外国語指導助手(ALT)や国際交流員(CIR)として日本に招致するJETプログラムに応募することを決めた。

「私は旅行が大好きで、アメリカを離れて世界を経験したかったのです」とアレックス・シルバーマンさんは言う。「日本の芸術に関心がありましたし、インターネットで見る日本の写真はどれも美しく、興味を引かれるものばかりでした」

シルバーマンさんは大学卒業後、2014年8月に来日し、東京郊外の埼玉県和光市にある埼玉県立和光国際高等学校に英語のALTとして派遣された。和光国際高等学校は外国語教育に力を入れており、現在、シルバーマンさんを含め、イギリス、オーストラリア、チュニジア、ドイツ、スペイン、中国など7か国出身の8名のALTが語学を教えている。

シルバーマンさんは週に18時間のクラスを受け持っている。当初は先輩のALTの授業スタイルを参考にしていたが、試行錯誤を続けながら自分のスタイルを確立していった。

「教えることは非常に難しいですが、楽しいです。特に生徒との『つながり』を感じた時は、達成感があります」とシルバーマンさんは言う。「『先生のお陰で非常に楽しかったです』と美しく書かれた手紙を貰った時は本当に嬉しかったです」

シルバーマンさんは来日前、日本語が全く話せなかった。現在も仕事が忙しく、日本語を勉強する時間がないのが悩みであるが、生活することには不自由はしていない。

「日本語は難しいけど問題ではありません。克服することはできます。英語で受けられるサービスも充分にあります」とシルバーマンさんは言う。「日本に来ることを決めたのは人生で最高の決断でした。少なくとも2020年の東京でのオリンピック・パラリンピックまでは日本に暮らしたいですね」