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Highlighting JAPAN

平和維持:自衛隊とPKO

日本は自衛隊の国連PKOへの参加を通じて、約25年にわたり、紛争や災害の被害を受けた国の再建に貢献している。

日本は1992年6月、国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO法)を制定した。その年、日本の自衛隊はカンボジアで平和維持活動に参加した。それ以降、ゴラン高原、東ティモール、ハイチ、最近では南スーダンなどの国・地域で、13の国連平和維持活動(国連PKO)、難民救援などに従事している。

2011年7月の独立に合わせて発足した国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)に、日本は2012年1月から自衛隊を派遣している。南スーダンへは現在までに延べ約3,900人の自衛隊員が派遣されており、首都ジュバにおいて主に道路などのインフラ整備に従事している。

「東日本大震災をはじめとする災害派遣活動の経験を積んでいたこともあり、私としてはPKO活動への参加を熱望していました」と九州の第8師団司令部の中村正昭1等陸尉は言う。

中村1等陸尉は、2015年11月から2016年6月まで、約350人の南スーダン派遣施設隊の一員であった。中村1等陸尉は35名の隊員を率いて、ブルドーザーやショベルカーなどの重機を使って市内の荒れた幹線道路の整備などを行った。現場の気温が55℃にまで上がる中での過酷な仕事であった。

「何より重視したのは住民への配慮です。作業をしていると個人的な要望を受けることもありますが、任務に支障がない限り応えるようにしていました」

ある時、小隊に地元の人が近づき「見返りは何もいらないから、作業を手伝わせてほしい」と話しかけてきた。ジュマ・アゴ・アイザックという名のその男性は、中村1等陸尉を「ボス」と呼び、中村1等陸尉も「36番目の隊員」として彼を受け入れた。彼は結局、このエリアの整備が終わるまで8日間にわたって隊員との共同作業を熱心に続けた。

「なぜ手伝いたいのかと彼に質問すると“自分も周りの住民も、日本人の活動には心から感謝している。肌の色は違うけれど、自分たちに流れている血は一緒だ。だから、一人の人間として手伝いたい”彼はこうも言いました。“日本人はいつでも必ず笑顔で挨拶してくれる。だから日本人はすぐにわかるし、すごく印象がいい。だからこそ、手伝いたいという気持ちになるのです”」

自衛隊は、インフラ整備に加え、「さくらプロジェクト」と名付けた人材育成支援プログラムを実施している。これまで自衛隊の宿営地で3回実施しているプロジェクトで隊員は、「ジュバ職業訓練センター」で学ぶ訓練生に対して、自動車整備、コンクリート施工、ITネットワーク、裁縫などに関する知識や技術を教えている。センターは、国際協力機構(JICA)が校舎建設を支援し、訓練器材も供与している。

また隊員は、ボランティアで南スーダンの人々との交流も積極的に進めている。例えばジュバ市内の孤児院を訪れ、子どもたちとスポーツや、日本の伝統的な玩具を作るなどしている。

「自衛隊が最初にPKO活動を行ったカンボジアの人々は、今でも日本に強い感謝の気持ちを持っています。そのため、現在でも南スーダンの国連宿営地内で病院を運営するカンボジアPKO部隊と日本隊とは、とても強い結びつきがあります」と中村1等陸尉は言う。「将来、南スーダンの人々が、カンボジアの人々と同じような気持を日本に寄せてくれたら、これほど嬉しいことはありません」