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Highlighting JAPAN

弘法大師とともに歩む

四国の歴史ある八十八ヶ所霊場の巡礼は、現代で最も長い道のりを歩く旅の一つである。

四国八十八ヶ所霊場の第4番札所である大日寺の古色蒼然とした佇まいを眺めていると、周囲の森から心地よいウグイスの鳴き声が響き渡ってくる。ほどなくして重なるのは、玉砂利の道を歩いてくる4人の巡礼者が鳴らす持鈴の音だ。白衣とすげ笠という伝統的な衣装をまとった巡礼者たちは、みな木製の金剛杖を持ち、その上には小さな鈴がかけられている。この杖は、日本に真言宗を紹介した四国生まれの僧侶・空海(774-835年、死後の通称は弘法大師)の魂を表したものだとされている。持鈴は、空海が四国で信仰を広める際に歩いた道を巡礼者がたどる中、彼らの心が移ろうのを防ぐ意図が込められているという。

今では巡礼者の大半は真言宗の信者というよりも観光客だが、それでも誰もが、経文を唱えることや、亡くなった家族の名前が書かれた納札を納めることなど、遍路独特の慣習を守っている。しばらく境内を散策すると、巡礼者はすぐ参道へと戻り、第5番札所の地蔵寺へと続く遍路の道を再び歩み始める。そうして、第6番札所の安楽寺に到着し一日が終わると、出発点である第1番札所の霊山寺から16キロの距離を歩いたことになるのだ。

安楽寺で働く佐々木延真氏は、歩き疲れた数多くのお遍路さんを宿坊に迎え入れてきた。彼によると、お遍路さんのほとんどは高齢者であり、徒歩でおよそ50日かかる1,500キロの旅を短縮するために、今ではその大半がマイクロバスを利用したツアーで旅をするという。佐々木氏は、巡礼の道を歩く外国人の数もここ数年急増していると語る。

ピーター・グローエン氏(75歳)は60人もの大所帯である「オランダ遍路クラブ」のメンバーだ。このクラブの所属メンバーのほとんどは、一回以上巡礼の道を完歩している。グローエン氏が遍路の道を初めて完歩したのは2012年のことで、その時には12日から18日の日程で4回に分けて巡礼をし達成した。現在は、二回目の巡礼をまもなく完遂するところだが、今回の旅では番外の寺20ヶ所と高野山も訪れる予定だ。グローエン氏は、母親と四国で生まれた彼の亡き妻への思いから巡礼の道を歩いている。

「普通は鉄道駅近くのホテルを4、5泊ほど予約し、そこを拠点に巡礼しています」と彼は言う。「毎日15キロから25キロ歩いて、ホテルへは列車で戻っています。お寺をいくつも訪ねた後で、缶チューハイを飲み一日を振り返りながら、一時間ぐらい列車の中で座って過ごす時間ほどリラックスできる時はありません」

グローエン氏の話では、遍路の道を歩いているとキャンディーや果物、クッキーなどの施しを受けることがしばしばあるという。時には家に招かれてお茶をすすめられることもあると彼は言う。この「お接待」と呼ばれる習慣は何世紀にもわたって続けられているもので、コンビニや自動販売機があちこちにある現代でも守られている。

安楽寺で一夜を過ごす20人ほどの巡礼者は、温泉の風呂で疲れを癒すと、午後6時きっかりに食堂に呼ばれて、簡素ながら美味しい夕食を供される。オカモト・タケジ氏(74歳)は、ビールを飲みながらその日の朝に本州の奈良から始まった一日の旅を振り返った。オカモト氏は、二回目の遍路だが今回は一人で歩いている。彼によると、経験豊富な巡礼者は着替え用の下着以外はほとんど何も携行せず、歩くのが楽しいのでただひたすら歩くのだという。

夕食を終えた我々が本堂へ足を運ぶと、穏やかな語り口の畠田秀峰住職に読経を指導して頂き、法話も二つ聞くことができた。その後、我々は全く予想もしない場所へと招かれた。そこは、ろうそくが灯され、神秘的に青く輝く浅い川が流れる、狭い洞窟だった。この洞窟には仏像や美術品がそこかしこに置かれており、我々はここでその日最後の行事を終えた。

畠田住職は、そこに掲げられている大判の敷物に描かれた曼荼羅を紹介し、その基本的な意味について説明してくれた。

「絵柄が環状になっていることにお気づきでしょうか」と彼はささやくような声で言う。「まさに、四国霊場巡礼の道のように円いのです」