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Highlighting JAPAN

函館の異国情緒を守る

19世紀中頃に国際貿易港が開港した北海道の函館には、西洋の影響を受けた建物が数多く建てられた。行政と市民が一体となって、こうした歴史的価値の高い建造物を保存する取り組みが行われている。

北海道の函館には年間300万人もの観光客が訪れる。今年3月にはさらに、本州と北海道の間を海底トンネルでくぐり抜ける北海道新幹線が開業したことで、函館は首都圏や東北地方からアクセスが、より便利な観光地となった。

函館の大きな魅力の一つが、丘陵地に広がる異国情緒あふれる町並みだ。その始まりは、150年以上前にさかのぼる。17世紀初頭から日本を治めていた江戸幕府は200年以上にわたり、海外との交流・貿易を厳しく制限してきたが、19世紀中盤に海外に門戸を開く方針へと転換した。このとき横浜、長崎とともに近代日本初の国際貿易港として開港したのが函館だった。それ以降、函館山の裾野に、教会や領事館といった西洋建築が数多く建てられ、そうした建物は現在、人気の観光スポットとなっている。

函館ハリストス正教会(1916年築)、旧函館区公会堂(1910年築)、旧ロシア領事館(1908年築)、旧イギリス領事館(1913年築)などの建築物に加えて、函館に独特な建築様式の家や店も建てられた。それらの建物は1階部分が格子窓や引き戸をもつ伝統的な日本建築となっているのに対し、2階部分は下見板張りの外壁に縦に長い窓を配した西洋風の外観となっているのが特徴だ。

「函館は坂道が多い街です。港の方から坂道を見上げた時、目立つ2階部分が西洋風だと見栄えが良いため、住民の間でこういう姿の商店や住宅を建てることが流行ったそうです」と函館市役所・都市建設部まちづくり景観課の長谷部毅氏は言う。「こうした建物は、古くから異国文化に触れてきた函館ならでは景観として地元の人に親しまれてきました」

函館は港町として発展していくが、三方を海に囲まれているため風が強く、ひとたび火災が発生すると広範囲に燃え広がることがたびたびあった。函館の町並みの特徴のひとつになっている道幅をたっぷりと取った坂道や街路は、1878年と1879年に発生した大火後、大火による被害のリスクを減らすために整備されたものだ。防火対策のため、煉瓦造りや土蔵造りの建物も多く作られた。例えば、東本願寺函館別院や金森赤レンガ倉庫も、1907年の大火の後に再建されたものだ。

そうした函館の古い町並みも、再開発による大きな危機に直面した時代があった。1975年頃から、古い建物が取り壊され、その跡地に高層マンションが次々と建設されていったのだ。しかし、1977年にルネッサンス様式を基本とするクラシカルな木造建築物、旧北海道庁函館支庁庁舎(1909年築)を札幌市の野外博物館「北海道開拓の村」へ移転する計画が明らかになると、市民の間で移転反対運動が盛り上がった。この結果、移転計画は中止されるとともに、歴史的な建物を大切に守っていこうという気運も市民の間で高まった。

函館市は、丘陵地での調査に続き、歴史的な町並みを市民共有の財産として継承し、後世に伝えていくため、1988年に「函館市西部地区 歴史的景観条例」を制定している。また、同じ年には西部地区の一部が、日本にとって価値の高い町並みとして、文化庁の「伝統的建造物群保存地区」の指定も受けた。

「建物の老朽化や住民の高齢化など、歴史的建造物を活用・保全していくには多くの課題があります」と長谷部氏は語る。「そうした中、函館市では歴史的な建物の修繕に関する補助金を用意したり、若い世代の歴史のある建物への住み替えを斡旋するマッチング事業を展開するなど、市民の皆さんと協力しながら様々な取り組みを行っています。これらかも市民とともに、函館の歴史的な町並みを守っていきたいです」