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Highlighting JAPAN

陸の宝と海の恵み

本州中心部に位置し、小さな湾や入り江が数多く点在する半島・伊勢志摩。2016年5月にはG7サミットの会場となる。神聖な伊勢神宮の広大な敷地や海の恵みなど、伝統的な日本を体験したいという人にとっては理想郷ともいえる場所だ。

白い衣装に身を包んだ現代のマーメイドともいえる女性が、きらめく海面の下へと潜っていく。揃った足とピンと伸びたつま先は、さながらシンクロナイズドスイミングの選手のようだ。1分ほどで海中から姿を現し、磯笛を響かせながら木製のかごに入った獲物を誇らしげに掲げる。中に入っているのは、手と同じくらい大きいアワビだ。自分の隠し場所にそれを置くと、さらなる宝物を求めて再び海中へと潜っていく。

海女と呼ばれる素潜りの女性たちの漁場から、日本三大神社のひとつであり天界の統治者であり皇族直系の祖先と言われる太陽の女神・天照大神が祀られる伊勢神宮まで、伊勢志摩の沿岸部は神話や伝統の宝庫である。三重県の東南端に位置するこの半島には、伊勢市や志摩市、鳥羽市、南伊勢町の一部が含まれ、公式的には志摩半島一帯からなる国立公園である。太平洋からの贈り物やユニークな民間伝承、思わず息を呑む景色などに溢れたこの地域は、日本の地方の手本といえるような魅力を放っている。来る5月の2016年G7サミット開催地としてこの地が選ばれたのも、何ら不思議ではない。

伊勢市にある伊勢神宮は、日本全国にある神社の本宗であり、その歴史は3世紀にまで遡る。境内の敷地面積は5,500ヘクタールに及び、これは伊勢市全体の面積のおよそ4分の1にあたる。神宮の周囲には125の宮社が点在し、それらを総称して伊勢神宮と呼ばれている。宇治橋を渡るとき、訪問客は人間の領域を脱し、神々の土地に足を踏み入れるといわれている。この神社を拝みに近郊や遠方からやってきた観光客の群れは、日本を形成した神々と交わり、自然の様々な側面を味わう機会を求めている。

伊勢神宮周辺は、長い巡礼の旅を経て骨を休める必要のある参拝者たちに対し、長きにわたり貢献してきた。おはらい町やおかげ横丁は、多くの店や客による活気に溢れ、所狭しと並んだ店の軒下には暖簾がはためき、情緒ある瓦屋根には家紋などが入っている。エプロンを身に着けた販売員たちは、きれいに並べられた地元の商品を宣伝している。そこで売られているものは、貝類や海藻、陶器、かごなど多種多様だ。人を招くような手つきをした「招き猫」や江戸時代主人の代わりにお伊勢参りをしたという代参犬をモチーフにした「おかげ犬」など、ちょっとした幸運アイテムとして買って帰ることもできる。

ここでは伊勢うどんを食すこともできる。太くて柔らかい麺に、たまり醤油と呼ばれる地元産の醤油と天然だしを使用した濃褐色のタレを絡めて食べる。おかげ横丁にある「ふくすけ」の女将、小島晃美氏の話によると、旅人たちが食べ応えがありつつも食べやすい食事を望んだことから、この料理が生まれたという。甘いものが食べたいという人は、この通りを下って伊勢を代表する菓子屋「赤福」へ行くこともできる。日本全国にその名が知られているこの店は、餅と小豆の餡を組み合わせた名物の和菓子を300年にわたり作り続けている。

「当店は、神宮に参拝する途上の人々をねぎらうために創業しました」と赤福の小坂真理氏は話す。赤福は午前5時には開店し、1日に千皿以上も販売する。赤福餅3つとほうじ茶 (焙煎した緑茶) 1杯でたったの290円である。客は茶屋の中から川を眺めてくつろぐこともできれば、古風な火鉢を囲んで暖を取ることもできる。店内で手作りされている菓子の形は、神宮内の景観を模している。「餡は五十鈴川の流れを表しています」と小坂氏は話す。「そして餅は、川底の小岩を表現しています」。

伊勢神宮のもっとも重要な祭り神嘗祭(かんなめさい)では31種類の食べ物や飲み物(そのうち16種類は海産物)が神様にお供えされる。それらを漁獲した人々の歴史を知りたければ、鳥羽市近郊の「海の博物館」へ足を運ぼう。当館学芸員の平賀大蔵氏の説明によると、この地域の人々と海には深いつながりがあり、それが神宮の神々にお供えされる海の恵みに反映されているという。「三重県の特色は、ほとんどすべての海産物がこの地域で漁獲できるということです」と平賀氏は話す。

この博物館では、海女 (その名が示す通り「海の女性」) の歴史も知ることができる。記録によると、これらの勇猛果敢な女性たちの歴史は少なくとも千年前に遡るが、なぜこの仕事が主に女性たちによって担われてきたかは明らかになっていないと平賀氏は語る。女性のほうが体脂肪率が高く、潜水しても寒さを感じにくいからという説もある。平賀氏は、遠い昔、伊勢神宮とのかかわり合いにおいてアワビを獲る潜水士は女性であるべきだと取り決めがなされ、その伝統が保たれてきたのではないかとの説もあることを紹介してくれた。その理由が何であれ、海女は千年以上にわたり、女性が主となって担ってきた誇らしい職業なのだ。

貝類を獲っていると、特別なボーナスが与えられることがある。海女たちが獲る貝はまれに真珠を生み出す(相応の大きさの真珠が貝の中から見つかる割合は数万個にひとつだ)ため、彼女たちは真珠採取とも密接な関係があるのだ。近代的な真珠の養殖方法が確立されたことで、海女は真珠産業における主要貢献者ではなくなったが、ミキモト真珠島では、海女たちの貢献に対する賛辞を海女のパフォーマンスという形で見ることができる。この島は伊勢湾内の鳥羽市内からほど近い場所にある。真珠養殖技術が生まれて間もない頃は、実験場として使用されていた。現在、この島には博物館やショップ、レストラン、海女のショーなどがあり、それらすべてが真珠やそれを生み出す生物たちの神秘を讃えている。

志摩市の「さとうみ庵」は、海の近くに建てられた海女体験ができる木造の小屋で、新鮮な海産物の網焼きを食べながら、海女たちと話すことができる。61歳のベテラン海女である林喜美代氏は、15歳の頃から潜り続けている。「私の前の代の母や祖母も海女でした」と、獲れたてのアワビや伊勢エビ、サザエを火にくべながら彼女は説明する。

天候が悪くなければ漁は1日に2回行われ、夏の日照時間が長い時期は時間も長くなる。海女たちは特別なコスチュームや漁獲のための道具を持ってはいるが、呼吸装置は使用しない。それらを使わずに、息を止めて10メートル以上も深く潜るのだ。そのような状況は危なっかしいようにも聞こえるが、林氏の話によると、グループ内の最年長は80代で、最年少は22歳だという。「私は自分が好きな仕事をしています。それに、家族も心配していません」と彼女は語る。「いつも海の中にいるということが単純に好きなんです。私は海を愛しています。お金がもらえないとしても、きっとこの仕事をするでしょうね」。

1,200年以上昔につくられた日本最古の詩集である『万葉集』に収められたある歌が、海女と海の共生関係を表している。

風の共 寄せ来る波に 漁りする 海人娘子らが 裳の裾濡れぬ
(現代訳:風とともに寄せくる波間にて、漁に勤しむ若い女性たちの衣服の袖が濡れている)