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Highlighting JAPAN

桜を待ち望む

シンボルは人間の心に強い影響を与える。東日本大震災の津波を生き延びた1本の桜の木は、生き続けるシンボルとなった。それに心を動かされたある男性は、震災で打ちのめされた地域を励ますため、桜の木を植えていこうと決意した。

2011年3月、破壊的な津波をもたらした東日本大震災が起こった当時、地元のアート団体MMIX Labの代表である村上タカシ氏は宮城県仙台市に住んでいた。その津波が破壊し尽くした地域を見ていた村上氏は、1本の桜の木が単独で花を咲かせているのを見て驚いたと語る。「こんなにすさまじい破壊の中でも桜の花は咲き続けるのかと思い、衝撃を受けました」。

「桜の木は日本人にとって特別な存在です」と村上氏は付け加える。そして、繊細なピンク色の花が3月中旬に咲き始め、学年が変わる4月上旬にはすぐに散ってしまう様子を説明する。世界の多くの国々と同じように、日本でも社会に出て働くまでの間は学校生活をするが、人が成長する上での節目となる季節が春であり、友達との出会いや別れ、新しい環境での生活が始まるといった生き方が一変する季節でもあるのだ。それは学生に限らず、ほとんどの日本企業も事業年度がこれと同じサイクルに従っているため、おそらく桜は正月以上に始まりを象徴している。震災が起こったタイミングも同じだったこともあり、村上氏は東北の地の復旧と再生のシンボルに桜がピッタリだと思った。

2012年3月、村上氏は東北地方に桜の木を植える「桜3.11学校プロジェクト」をスタートさせた。東日本大震災の通称3.11は千年に1度の規模の震災だといわれている。そのため、村上氏は条件が揃えば千年近く生き続けるエドヒガンという桜を選択した。10年目の木ならば7メートル以上の高さになり、植えた次の年には花を咲かせる。これは記憶をとどめる記念物となるとともに、津波が到達しなかった安全な地帯を未来の世代に伝える目印の役割も果たす。

村上氏は、津波が襲った青森・岩手・宮城・福島の4県の幼稚園・小学校・中学校にこの丈夫な木を植えることに決めた。3.11の直後、家を失くした被災者たちは地元の学校に集まった。他の人々は絶望しか見出さないなかで、村上氏は「そのような場所に新しいコミュニティが生まれているように思えました」と語る。このプロジェクトにおける彼の目標は、数々の学校を地域復興の中心地とし、子どもたちが自分の記憶をさらに後の世代と共有できるようにすることだ。

自身の団体が持っている経験を生かし、村上氏と団体スタッフは、植樹セレモニーでアートを通じて生徒たちや地域を引きつけるような様々な活動を実施している。彼らは学校の生徒たち向けのアートワークショップを開催し、生徒たちは植樹作業やその準備に参加する。受け入れ校の代表者たちに桜バトンを渡し、手書きのメッセージが書かれた風船を空へと放ち、次の学校の生徒たちに向けたビデオメッセージを撮る。フィナーレでは、桜色の花火が夜空を照らす。

風船メッセージのセレモニーでは、学校の生徒たちはピンクの風船に自分の希望や夢を書き、一斉に空へと放つ。その様子は、桜の花びらが風に吹き飛ばされる光景を思わせる。村上氏は、2012年の最初のセレモニーで子どもたちが「お家に帰りたい」、「家族といっしょにいたい」「長生きしたい」といった言葉を書いていたことを思い返す。しかし、新しい世代の子どもたちが進学してくるにつれ、そのメッセージは将来何になりたいかなど、何十年も先の未来を見据えた願いになってきているという。

津波は4県の200校近くに被害を与えた。既に12校に木を植えたいま、村上氏の目標は、10年間エドヒガンの木を植え続けることだ。辛い記憶をものともせず、これらの桜の木は地域の力と希望の証として、今後の何世代にもわたり立ち続けることだろう。