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Highlighting JAPAN

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なぜここに外国人

サンシャインが笑いを広める(仮訳)

百年ぶりの外国人プロ落語家が伝統的な日本の笑いを世界中の聴衆と分かち合う。

髪をブロンドにブリーチした、身長182cmの桂三輝(かつら さんしゃいん)は、普通の落語家(喜劇の語り手)ではない。

400年続く日本の落語に興味を持つ前、のちに三輝となる彼はカナダの故郷、トロントで劇作家として成功を収めていた。彼は、グレッグ・ロービックという名で1999年に来日した時には、古代ギリシャの劇作品と日本の能や歌舞伎との類似性を数ヵ月かかけて調べてから帰国するつもりだった。三輝は当時のことを次のように振り返る。「日本に来てすぐにこう思いました。『日本がこんなに面白い国だと、どうして誰も教えてくれなかったんだ?』ってね」。

それ以来、彼はほとんど日本を離れていない。来日から数年後にようやく天職である仕事に巡り合えたが、それが見つかった場所は演芸場ではなく、横浜のアパートの近くにある焼鳥屋だった。ある日の閉店後、焼鳥屋の店主が、落語を聞きに行かないかと誘ってくれた。「その時は落語について知らなかったのですが、聞きに行ってみました。それでピンときたんです。『これだ。これこそ自分の天職だ』と思ったんです」と三輝は語る。

2008年、彼は上方落語協会の会長、桂三枝に弟子入りした。慣わしに従い、彼は師匠の高座名の一部を引き継ぎ、桂三輝と命名された。そして3年の修行期間を終え、彼は海外出身者としてはほぼ一世紀ぶりのプロの落語家、そして大阪の上方流で修行を積んだ史上初の外国人噺家となった。

落語の高座は、一般に“枕”(字義としては“pillow”を意味する)で始まる。枕において落語家は、欧米のスタンダップコメディのスタイルに似た日常的な笑い話を語る。枕は本題に入るための巧妙な導入となっているが、本題は落語家が“コンコンコン”と扇子を叩いてドアをノックする演技以外、何の前触れもなく開始されることもある。落語は、細かくコントロールされた身振り手振りと、巧みな声色の変化によって登場人物を演じる芸であり、一人喜劇の形式をとる。

三輝が三枝 (現在の芸名は桂文枝)にアプローチしたのは、200を超える三枝の新作落語の多彩な演目が、英語でも演じられると考えたためで、三輝は、時間を惜しむことなく数々の噺を翻訳し、海外で披露し始めた。

「プロとして初めて高座で披露したのは、師匠の落語の英語版をシンガポールで行ったときです。ですから、400年の落語の歴史において、プロとしての初高座を海外で迎えた落語家は、おそらく私が初めてでしょう。それも英語で、ということになると間違いなく私が初めてでしょうね」と三輝は説明する。

この時以来、三輝は国内外でその芸を高く評価されている。2013年、三輝はカナダとアメリカの20都市で巡業を行い、昨年には英国のエディンバラ・フェスティバル・フリンジで25回、公演を行った。カナダのCTVテレビジョンネットワークは、「一人だけのシチュエーションコメディ」と彼を紹介し、英国のエディンバラ・イブニング・ニュースは「三輝が観客を爆笑させた」と伝えた。

外国の観客にアピールする上で、言語を除いて、落語に変更を加える必要はないと三輝は強調する。「海外のお客様は落語を理解してくれます。日本らしい面を落語から取り除く必要はありません。海外で落語を披露する時にも、できる限り日本らしさを残すべきでしょう。それができるのが落語の魅力のひとつです」と彼は言う。三輝は枕の多くの時間を使い、自身の修行時代の苦労話や日本語のボキャブラリーに関する困難について語って観客を楽しませることが多い。

「海外公演にハマっているんです」と、絶えず笑顔で三輝は語る。その言葉は舞台上と同じく矢継ぎ早に発せられる。「みんな落語が大好きですからね」。2015年、彼は世界巡業を行っており、オーストラリア、香港、タイ、ヨーロッパ、さらにアフリカでも観客を沸かせる予定だ。三輝の活躍に失速の兆しはまったく見られない。

 



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