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Highlighting JAPAN

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青年海外協力隊50周年

世界と歩む初代隊員(仮訳)

海外協力隊初代隊員としての経験を契機に、50年に渡り国際協力に携わる星野昌子氏に当時の様子を伺った。

JICAの前身である海外技術協力事業団が、初の「日本青年海外協力隊」隊員募集を行ったのは、1965年のこと。新聞の募集広告をたまたま目にしたことをきっかけに、星野昌子氏(83)は隊員に応募し、初代隊員としてラオスに派遣された5人のうちの1人に選ばれた。以来、50年に渡って国際協力の最前線で活躍している。

星野氏は高い教育を受けたのちに結婚し、10年の専業主婦生活を経て離婚した。日本語教師としてのキャリアをスタートさせたばかりで、応募当時は年齢制限ギリギリの33歳だった。「その頃の日本は、女性にとってまだ息苦しい時代だった。青年海外協力隊への参加は、当時の私にとって自分の能力を使って正当な理由で日本を脱出する、最高のチャンスだった」と星野氏は振り返る。

日本語教師として派遣されたラオスは、「物質的には貧しくはあったが、美しい自然や多彩な農作物に恵まれ、穏やかで精神的に豊かな国」だったという。着任当初、実際にはラオスに日本語教師のニーズはなく、一度は頓挫しかけたものの、星野氏の積極的な働きかけで半年後にようやく日本語学級が実現した。

志の高い生徒たちから広がる人脈と交流、男女の別なく平等に支え合うラオス人家庭でのホームステイ生活を通して、星野氏は「ラオスから日本が学ぶべきこともたくさんある」とラオス文化に惚れ込んだ。もっとラオスの人々と交流したいという気持ちから、ラオス語とフランス語の上達に励み、協力隊の任期終了後も在ラオス日本大使秘書として現地に残った。現地で日本人学者の星野龍夫氏と結婚したのち、聡明で心優しいラオス人養女を受け入れ、政情が不安定な中ではあったが、ラオスとその隣国タイに合計18年在住した。

日本初の非政府組織(NGO)設立の必要性を強く意識したのは、通訳として参加したインドシナ難民の救済活動がきっかけだった。海外のNGOや民間ボランティアの活躍を目の当たりにして、関係機関への働きかけに奔走し、1980年、日本初の国際協力NGO団体である日本奉仕センター(現・日本国際ボランティアセンター/JVC)の旗揚げに至った。その後もJVC事務局長として、アジアのみならずアフリカの難民救済や、日本国内の女性問題分野でも広く活躍し、常に世界と日本との橋渡し役として民間国際協力の第一線で貢献した実績を評価され、2012年には日本政府より旭日小綬章を授与された。

日本のボランティア活動認知の立役者である星野氏は、国際協力とは「開発を押し付けるのではなく、現地から自発的に上がってくる力を支援するもの」という哲学を持っている。現在はJVCでは顧問に就任しているが、「世界を感じられる第一線にいたい」と、法務省入国管理局の難民審査参与員として、今も難民問題に携わっている。

「私の人生はラッキーだった。あの日国会図書館で協力隊の新聞広告を目にしなかったら、ラオスに派遣されることもなく、NGO活動に出会うこともなく、今の私はここにいないかもしれない」。その幸運をどんなときもしっかりと掴み取り、自らの努力でさらに発展させてきた星野氏。5つの言語を操り、現在6つ目となるドイツ語習得に励む彼女は、初代協力隊員になった日から、常に世界と向き合い、ともに歩み続けている。



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