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Highlighting JAPAN

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地方の魅力発信

にぎわいあふれる商店街への復活(仮訳)

斜陽の時代の辛さを教訓に、多くの人々が集まるにぎやかな商店街へと復活した大須商店街。「ごった煮的」と揶揄される混沌とした魅力は、変化を恐れない商店主らの姿勢の賜物だった。

大須観音の門前町として発展した大須に、平日で約3万人、土日には約7万人をも集客する商店街がある。年間を通した数々のイベントや祭りに加え、24カ国および2地域から、各地の予選を勝ち抜いた参加者が集う「世界コスプレサミット」のパレード会場としても国内外の注目を集める大須商店街だが、活気に満ちた現状は過去の苦労の上に成り立っている。

商店街の歩みを大須商店街連盟会長の今井富雄氏にうかがった。「大須は庶民の憩いの場として、古くは1609年の名古屋城築城以来栄え、芝居小屋や寄席、映画館がひしめく名古屋の中心だったのです。しかし、戦後の区画整理で『若宮大通』ができると周囲の繁華街から分断され、1957年頃から近隣に地下商業施設ができ始め、1974年には路面電車も廃止されたことにより、陸の孤島となりました。かつての賑わいが幻のように、空き家ばかりの商店街と化したのです」と今井氏は振り返る。

そんな状況を危惧した地元商店街は、1975年に名城大学の学生や教員らと共同で「アクション大須」プロジェクトを実施。40人以上の芸人を集めて約15の会場でイベントを行うことで、客たちが商店街をくまなく回遊できるようにとの工夫は大成功をおさめ、活性化へのきっかけとなった。

1977年には家電製品を安く売る「アメ横ビル」が完成した。同年には地下鉄鶴舞線が開通し、これによって商店街の東西両端からのアクセスが可能になった。大須の庶民性と家電量販店の存在は相性もよく、若者も含め商店街には多くの客たちが戻って来た。商店街マップの作成、土日限定に登場する「大須案内人」のほか、2005年の愛知万博をきっかけに決済方法に電子マネーを導入し、現在9台のAED(自動対外式除細動器)を設置するなど、サービス面や安全面の向上にも積極的だ。

「足を止めれば衰退してしまいます。絶えず先に進み続けたいのです」と今井氏。外国人を含む外部の若い店長の受け入れや、時代に合った商品への切り替えなど、大須商店街には柔軟に変化を受け入れるムードがある。これはもともとの大須の地域性だけでなく、閑散としていた過去の商店街の苦しい時代から得た教訓が生かされているという。

『アクション大須』は1978年から『大須大道町人祭』として引き継がれ、今年10月で37回目を迎え、毎年約30万人を動員する人気イベントになった。イベントの実行委員は1年の任期で若手店主から選出される。イベントの情報をメディアに流し、約1100店舗が織りなす『ごった煮』的な大須商店街の魅力を発信し続ける努力をしている。大須商店街の代名詞ともなった「ごった煮」とは、混とんとしていながら全てが共存した状態であり、若者からお年寄りまで、オタク系も多国籍の人々も商店街を楽しむことができる、捉えどころのない面白さなのだという。

近年はアジア圏を中心に外国人観光客も増えており、マップやホームページの多言語対応や、商店街としての免税手続き対応を進めていく予定だという。昔ながらの日本的な商店からメイド喫茶、電脳ショップ、コスプレショップまでが軒を連ねる大須商店街の「ごった煮」的な面白さは、外国人の目にも新鮮に映るのではないだろうか。変化を恐れず、常に新しいことに挑戦したいという商店街の人々の熱意が世界に知られる日はそう遠くないに違いない。



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