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Highlighting JAPAN

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連載|47の物語

福岡県/福島県(仮訳)

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福岡県:ラーメン王国

福岡は、ラーメンがとびきり美味しい日本有数の聖地として日本人なら誰もが知る場所である。ロブ・ギルフーリーが、福岡のラーメン店で全国的に名高い「博多 一風堂」を訪ねた。

日本の国民的食べ物と言えば外国人はすぐに寿司を思い浮かべるだろうが、日本の商業都市を歩き回れば食道楽でもてはやされている最高の王者はラーメンだということが分かる。

そして、福岡ほどその真実味に溢れた場所は他にない。ここ福岡は、さまざまなラーメンが目白押しの日本で最も有名なラーメンの聖地なのだ。

福岡は、日本でも一人当たりのラーメン店が最も多い指折りの場所である。日本人がこの国の「三大」ラーメンについて語る場合、まず思いつくのは博多ラーメンだろう。

この「博多ラーメン」は、その極細麺と、豚の骨やその他様々な材料からゆっくりと抽出されたクリームのような色合いのコクが深い豚骨スープが特徴である。

このラーメンの名前は福岡市の博多地区に由来しているが、その発祥地は博多地区ではない。そこから車で10分ほどの距離にある「長浜鮮魚市場」周辺の長浜地区だ。地元民はこのエリアのラーメンを「長浜ラーメン」と呼んでいる。このエリアでは、競りで忙しく食欲旺盛な魚市場の労働者のために、茹であがりが早い「極細麺」を使い、麺だけが追加注文できる「替え玉」を始めた。さらに「麺の茹で加減をオーダーできる」のも大きな特徴だ。

この「長浜ラーメン」が、全国的に有名な「白濁豚骨スープ、極細麺、替え玉、麺の茹で加減をオーダーできる」という「博多ラーメン」のルーツと言われている。

この「博多ラーメン」を、全国的なブランド名として打ち立てたことでつとに名高いのが河原成美氏である。河原氏は、1985年に福岡で「博多 一風堂」を開店し、その過程で「ラーメン王」の名を我がものとした人物だ。

10人ほどが座れる小さな路地裏の店から始まった「博多 一風堂」は、今や日本国内約70店舗に加えてニューヨークや香港、シドニーといった都市を含む16ヵ所の海外拠点を擁するまでになっている。

日本のラーメン店は、しばしば「汚い」、「臭い」、「恐い」で知られる「3K」で特徴付けられてきた。これは河原氏が何とか払拭しようと必死に闘っていたイメージだと語るのは、「博多 一風堂」の運営会社、株式会社力の源カンパニーCOOの清宮俊之氏だ。

「もともとの考え方とは、女性客が居心地よく感じられる雰囲気を生み出すことだったのです」と、清宮氏は言う。

「博多 一風堂」は、この目標を見事に体現してみせた。カギとなったのは、男性だけで粗野に映ることがよくある日本のラーメン店では滅多に見られない、スタイリッシュな内装デザインと陽気なスタッフサービスだった。

清宮氏は、補足して次のように語っている。「一風堂の名声は、実際の店構えとスタッフ研修という分野において力を合わせて努力した賜物であり、それが一般的なラーメン店とは全く違うのは明らかなことです」

メニューの定番は、標準的な「白丸元味」と「赤丸新味」である。こうしたユニークなネーミングも創設者の河原氏がラーメン業界ではさきがけだが、今では日本のラーメン店では当たり前になっている。

「それでも、当社では他の博多ラーメン店のように豚骨一筋にあまりにもこだわるようなことはしていません」と清宮氏は話し、「博多 一風堂」のメニューには味噌ベースのスープや他にも季節のさまざまな品揃えがあるのだと付け加えた。

顧客の中には、日本各地からはるばるやって来て福岡の大名にある「博多 一風堂 総本店」でラーメンに舌鼓を打つ者もいる。「豚骨は普通であれば強い刺激臭があり閉口することがあるのですが、ここでは全く気になりません」。そう話すのは、「博多 一風堂」のラーメンを食べるためにわざわざ京都からやって来たタカハラ・ユウスケ氏(23)だ。清宮氏によると、「博多 一風堂」ではスープの下ごしらえに特別なプロセスを導入しており、それによって豚特有の臭みを消しているそうだ。

広島から6歳になる娘のコユキちゃんを連れてやって来たミヤハラ・エツコ氏は、ラーメンは大好きだが地元のラーメン店に行こうと思うことは滅多にないと言う。「ここではまわりを見れば女性客がそれなりにいますが、広島ではほとんどあり得ないことです」

清宮氏によると、「博多 一風堂」は17店目となる海外店舗を8月にオープンさせる予定で、来年からは毎年平均して15から20店の海外店舗をオープンさせる計画を立てているという。「今後は海外進出をさらに重要視して、事実上日本の国民食であるラーメンをより幅広い顧客層へと提供していくつもりです」

福岡県基礎データ
福岡県は、九州の東北端に位置する。古代より、中国大陸や朝鮮半島との交流の窓口であった。現在は、九州国立博物館や福岡アジア美術館など、アジアの歴史や文化を体感できる施設が整備されている。
人口:約507万人
面積:約4,977平方キロメートル
県庁所在地:福岡市
県の日本一:鉄道レールの輸出量(2012年)

他の福岡県のオススメ
博多織:博多織は、福岡市で染め、織られている伝統的な絹織物である。博多織は、光沢のある美しさに加えて、一度締めると緩みにくいという優れた実用性もあり、着物の帯として特に人気が高い。
能古島:博多湾内に浮かぶ能古島は、海水浴客やハイキング客などに人気の観光地だ。島内にある「のこのしまアイランドパーク」では、春は桜や菜の花、つつじ、秋にはコスモスなど、季節の花々が楽しめる。


福島県:常に良い酒造りを

福島県は、日本有数の日本酒の生産地である。今回、ロブ・ギルフーリーは、福島県で最も歴史が古く名の通った酒造メーカーのひとつ、末廣酒造株式会社(会津若松)を訪れた。

末廣酒造株式会社の大洞窟のような酒蔵には、ピリッとした甘い香りが充満している。一段高い壇の上では、2人の職人が作業している。彼らは、櫂のような形をした長い道具(櫂棒)を使い、1,500リットル用タンクを満たしている泡立った乳白色の液体をかき回している。

これは、「櫂入れ」と呼ばれる、酒造りの工程のひとつである。もろみ(醪)と言われる粘着性のある液体からは、複雑な香りが漂う。だが、その原料は、いたってシンプルなものである。もろみの原料は米と水だけ。米と水に発酵材料である麹を加えて発酵させると、日本の国民的飲み物である酒ができあがる。

日本酒の生産地として最もよく知られているのが、会津若松である。末廣酒造の7代目社長である新城猪之吉氏によれば、会津産の米の品質は、日本では最高級に入る新潟県に次ぐ2番目だそうだ。しかし、「酒造りにおいて重要なのは水なのです」と新城氏は語る。「例えば、米国カリフォルニア州ナパバレーやオーストラリアの地でも酒造りが行われていますが、できあがった酒の味は、ここ会津の地で醸造したものとは全く異なりました。反対に、同じ米をこの地に持ってきて造った酒と会津産の米を使って醸造した酒との間に味の違いは、わずかしかみられません」。

日本において唯一無二の酒の生産地として知られる福島県の会津地方は、山あいにあり、清冽な水が豊富に存在するのだと新城氏は話す。福島県は3つの地方――沿岸部の浜通り、中央の中通り、そして、同県西部の内陸に位置する会津――に分けられるが、それぞれの地方では他に類を見ないさまざまなテイストの酒――甘口で味わい豊かなものから、繊細でドライな味わいのものまで――が生産されている。

「日本の他の生産地とは異なり、福島県産の酒の場合、ひとつのテイストで括ることができません」と新城氏は語る。

福島県の酒生産量(約1,100万リットル)は全国第8位。末廣酒造は、輸出において他の酒造メーカーをリードしている。福島県全体で見た場合、酒生産量のうち海外向け輸出に回されるのは1~2%に過ぎないが、新城氏によれば、末廣酒造では年間生産量(90万リットル)の約8%が海外へ輸出されている。新城氏は、160年にわたる家風に従い、先代の6代目猪之吉が亡くなってから、名を猪之吉へ改めた。

末廣酒造が輸出に乗り出したのは、今から20年以上も前のことである。最初の輸出先は、フランスだった。しかしながら、末廣酒造に先立ちすでに大手ブランド数社が市場に進出し、かなりの市場シェアを確立していたため、末廣酒造が食い込める隙はほとんどなかった。新城氏は、こう当時を振り返る。

そこで末廣酒造が視線を向けたのが米国だった。この数年、末廣酒造は米国市場において日本酒愛好家を増やすことに成功している。

末廣酒造は引き続き、取扱製品の多角化――例えば、微発泡酒ぷちぷち、オーク樽で熟成されたシェリー酒に似た熟成酒など――に努めており、日本酒以外の分野にも進出している。2007年には、ロンドンで開催されたインターナショナル・ワイン・チャレンジのSAKE部門において、末廣酒造が手がける「伝承山廃 純米末廣」は金賞(ゴールド・メダル)を受賞している。

しかしながら、会津若松から100キロ以上離れた沿岸部で2年前に発生した原発事故は、福島県の酒造業界に甚大な損害を与えた。「これは、飲食店では一般的に日本酒の原産地名として都道府県名をメニューに載せるようにしているからなのです。そのため、福島の酒造メーカーは、販売がしづらくなっているとのことです」――福島県酒造協同組合の理事長も務める新城氏はこのように語る。

福島県内の他の酒造メーカーと同様、末廣酒造においても、全ての酒の原材料と完成品の日本酒に対して、線量調査のために厳格な放射性物質検査が実施されている。その回数は、全工程において合計4回にも及ぶ。また、福島県の酒造業界は、独自に自主基準も導入している。新城氏によれば、安全面から見て問題ないと彼らが判断し自らに課している安全基準は、日本政府が規定した数値の50分の1、また欧州において容認されている基準値の100分の1という厳しさである。新城氏いわく「福島県産の酒はおそらく、国内のどの生産地のものよりも安全です」。

末廣酒造が誇る酒造りの偉大な達人のひとりが、杜氏を務める佐藤寿一氏(76歳)である。佐藤氏が末廣酒造で働くようになって、既に50年余りが経過する。それは、末廣酒造の160年にわたる歴史の約3分の1の期間に相当する長さだ。今日福島県内で醸造される酒は、以前と変わらない品質の高さを維持している、と佐藤氏は語る。佐藤氏いわく「何が起ころうと、人々は常に良い酒を望んでいるのです」

福島県基礎データ
福島県は、東北地方の一番南に位置し、全国で3番目の広さを有する。福島県は、県内を南北に走る高地と山脈によって3つの地方に分けられ、各地方の気候が大きく異なる。そして、それぞれの地方で独特の豊かな文化が育まれてきた。
人口:約195万人
面積:約13,782平方キロメートル
県庁所在地:福島市
県の日本一:桐材の生産量(2011年)

他の福島県のオススメ
会津の伝統玩具:会津地方では、江戸時代(1603~1867年)以来、地域の独自の生活習慣、信仰を反映した玩具がつくられてきた。例えば、張子の牛の人形「赤べこ」は、生まれた子どもの健やかな成長を願って贈られる玩具である。
裏磐梯五色沼湖沼群:裏磐梯五色沼湖沼群は、福島県北部の高原にある。水中に含まれる微粒子等の影響で、沼ごとに異なる様々な青色を見せる。

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