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Highlighting JAPAN

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特集アフリカの成長を育む

アフリカのビジネスを切り開く(仮訳)

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豊富な天然資源をもとに、産業のすそ野の広がりと内需の拡大が進むアフリカは、近年、その安定的な経済成長によって国際的な注目を集めている。アフリカに対する海外からの直接投資も増加し、経済成長を後押ししている。ビジネスを通して、アフリカの経済に貢献することを目指すアフリカ人、日本人を松原敏雄とジャパンジャーナルの澤地治が紹介する。

リサイクルを広げる

東京都に隣接する埼玉県八潮市の工業団地にあるナフケーン・アソシエイツのリサイクル工場には、解体された車、エンジン、電線屑などが山積みされている。その中で、ナイジェリア人、ガーナ人、日本人などの従業員が、黙々とエンジンの解体作業や電線屑の分別作業を行っている。

工場の一角に設置された巨大な機械では、電線屑を原料にして作られる銅が作られている。さらさらとドラム缶の中に落ちいく銅は砂のようだ。

「1日、だいたい、このドラム缶3つが銅で一杯になります」とナフケーン・アソシエイツの社長、ケネディ・フィンタン・ンナジ氏は言う。「このリサイクルされた銅は、産業用に使われます」

ナイジェリア出身のンナジ氏が来日したのは1992年のことである。当時、兄弟や従兄弟はアメリカで暮らしていたが、ンナジ氏は、英語圏ではない国での生活に興味を持っていた。そこで選んだのがアジアの経済大国であった日本だった。来日したンナジ氏は、日本語学校に通いながら、玩具を作る会社でアルバイトをし、様々な工作機械の運転方法を習得した。さらに、日本の文字を憶えるために書道を学んだり、コンピュータ学校に通ったりと、どん欲に知識を吸収していった。そして、ナフケーン・アソシエイツを2000年に設立し、東京に事務所を持つ。当初、仕事は通訳や翻訳であったが、輸出入に関わる通訳や翻訳を行ったことがきっかけで、自ら輸出業を始める。主な仕事は、日本の中古車の部品や中古家電を購入し、アフリカなど海外に輸出することだった。

輸出業は順調であったが、2005年に日本で自動車リサイクル法が施行され、自動車のリサイクルを促進するための規制が強化されると、ンナジ氏は、リサイクル工場を八潮市に設立し、自動車の解体事業をスタートさせる。

「新しいルールが生まれるということは、それに関連する商売も生まれると思ったのです」とンナジ氏は言う。「私は、それまで自動車部品も扱っていましたので、事業を拡大するチャンスと考えたのです」

さらに、自動車の解体で生じる大量のワイヤーハーネス(自動車用電線)などの電線屑から銅を分離する機械を購入し、銅の製造、販売にも乗り出した。また、ナイジェリアにも現地の人々を雇用し会社を設立、日本から輸出した、エンジン、サスペンションなど自動車の中古部品をナイジェリア国内で販売するだけでなく、近隣諸国へ輸出も行っている。

「リサイクル事業は、どの国でも欠かせないものだと思います。リサイクル事業がなければ、国が汚れてしまいます。日本は自動車、缶、食品など様々なリサイクルが行われているから、きれいです」とンナジ氏は言う。「ナイジェリアでは、リサイクルできる物がたくさん捨てられてしまっています。いつか、日本のリサイクル技術を通して、ナイジェリアに貢献したいです」

ンナジ氏は2010年に、出身地のナイジェリアのイモ州の人々とともにNPO法人「 Imo State Union Japan」を結成、理事長に就任、Imo State Union Japanは在日ナイジェリア人に対する生活支援や、ナイジェリアの文化や伝統を日本人に伝える活動を行っている。また、ンナジ氏はナイジェリア人の起業家として、メディアの取材や、講演もしばしば依頼されている。

「日本で外国人だからといって差別されたことはないですね。私は非常に人に恵まれました。日本人に『ありがとう』と言いたいです」とンナジ氏は言う。「ナイジェリアは非常に優れた人材がたくさんいます。今後、日本にナイジェリアから留学生が増え、次世代のリーダーとして、彼らが活躍する日が来ることを願っています」


自然を守り、雇用を生むバナナペーパー

バナナは約125カ国で栽培され、年間約1億トンが生産されている世界的な食べ物だ。しかし、一部のバナナ生産国で、バナナから紙が作られていることは、あまり知られていない。バナナの茎から採れる繊維が、質の高い紙の原料になるのだ。

この「バナナペーパー」で、アフリカの環境保護、雇用創出に取り組むのが、東京を拠点とする株式会社「One Planet Café」だ。One Planet Caféが製造・販売するバナナペーパーは、アフリカ南部の内陸国、ザンビアで、無農薬で栽培されているバナナから作られている。

One Planet Caféを経営するのは、エクベリ聡子氏(日本人)、彼女の夫、ペオ・エクベリ氏(スウェーデン人)、そして、ビリー・エンコマ氏(ザンビア人)だ。エクベリ夫妻は、長年、日本で、環境関連のコンサルティング、執筆、講演などの仕事を行ってきた。その二人が、バナナペーパーの製造を始めるようになったきっかけは、エクベリ夫妻がアフリカに小学校を建設する計画を実行するために、ザンビアを訪れたことだった。

「私たちは学校を訪問し、先生や親と話をする中で、学校が作られても、親が教育の重要性を充分に理解していなかったり、親に仕事が無かったりすると、子どもは学校に通えないという現実を知ったのです」と聡子氏は言う。「そこで、まず、大人が教育の大切さを知る、仕事を得るためのスキルを習得する場所を作ろうと考えたのです」

2007年、エクベリ夫妻は、大人のための学びの場として、アフリカでも最も生物多様性に富んだ国立公園の一つ、「サウス・ルアングア国立公園」の近くにあるエンフエ村で、教育施設「One Planet Caféザンビア」を村の住人と立ち上げた。そこでまず行ったのは、パソコンの講義だった。しっかりしたコンピュータのスキルを習得できれば、会社の事務作業などの仕事に就ける可能性が高まるからだ。さらに、環境を保護しながら、新たな雇用を生み出す方法として考えついたのが、バナナペーパーの製造だった。ザンビアでバナナは日常的な食べ物として栽培されており、エンフエ村の周辺にも、数多くのバナナ農園があったのだ。

「村が抱えている、貧困、教育、森林破壊、野生動物の密猟などの問題はすべてつながっているのです。仕事がないので、子どもを通学させることも出来ず、密猟にも手を出してしまう。あるいは、燃料を買うお金がないので、木を切ってしまうのです」とペオ氏は語る。「バナナペーパーを作ることで、収入が得られれば、木を切ることも、密猟をすることも必要なくなると考えたのです」

バナナペーパーの原料となる茎は、実を収穫した後、新しいバナナを育てるため刈り取られ、捨てられていた部分だ。また、茎は刈り取られても、わずか1年で再生するので、持続可能な資源である。

2011年、バングラデシュ産のバナナペーパーを使って名刺を製造していた北海道の印刷所の協力を得て、ザンビア産バナナペーパーの生産を目指すプロジェクトがスタートする。ペオ氏はバナナペーパー生産のノウハウを学び、さらに現地で製造方法を研究した。そして、試行錯誤を重ねた末、取っ手の付いた木の板を使って茎から水分をこすり出し、それを天日干しして繊維を作り出すことに成功した。ペオ氏はその技術をエンフエ村の女性に伝え、それが彼女たちの仕事となった。

こうして作られた繊維は日本で加工され、和紙の知恵を活かして「One Planet Paper®」と名付けられた商品となる。現在、日本の企業8社が、One Planet Paper®を使い、名刺、折り紙、ノート、壁紙などの製品を販売している。

バナナペーパー生産はビジネスとして軌道に乗り、17人の現地の人々が生産に関わっている。収入は貧困状態を超えるフェアなレベルとなり、全員の子どもが学校に通えるようになった。また、売り上げの一部を使い、これまで学校に行くことが出来なかった大人のために英語と数学の授業も開講している。

「ザンビアでのケースをモデルにして、今後10年間で、世界の10箇所にOne Planet Caféを設けていくことが目標です」と聡子さんは言う。「それはフェアトレード商品を扱うカフェであったり、あるいは何らかの学校であったりするかもしれません。様々なフェアトレード・ビジネスを通して、アフリカ、そして、世界の持続的な発展につなげたいと思っています」


アフリカの花屋

ケニアにおいて園芸は重要な輸出産業で、観光と紅茶に次いで3番目に大きな外貨獲得産業となっている。中でも急成長をとげているのが生花輸出だ。

標高が高くて日夜の寒暖差が激しく、日照時間が長いケニアの気候風土は、バラの栽培に非常に適している。太陽をたっぷり浴びたバラは非常に色鮮やかで、茎も太く丈夫で日持ちもいい。

このケニア産のバラの美しさに魅せられ、ケニアからバラを日本に輸入し、主にネット販売しているのが、「アフリカの花屋」代表の萩生田愛氏だ。

萩生田氏はアメリカの大学で、国際関係を学ぶ学生として、ニューヨークで開かれた模擬国連に参加した時に、アフリカの貧困問題の深刻さを知った。

「その時、いつかアフリカに行き、実際にアフリカを見て、アフリカの人々と話して、自分は何をすべきかを判断したいと、強く思いました」と萩生田氏は振り返る。

大学卒業後は日本に帰国して世界的な製薬会社に6年勤めた後、2011年、萩生田氏は小学校建設をサポートするNGOのメンバーとしてケニアに渡った。ケニアで、平日は地方で活動を行いながら、週末にのみ首都ナイロビに帰ってくるといった生活を送る中、偶然、路上販売のバラに目が留まった。萩生田氏は花が好きで華道の師範の免状も持っているが、それは今まで見たこともないバラだった。

「赤や黄色や白のグラデーションが美しくて品種も多く、これがバラなのかと驚きました。手入れも充分しないのに、購入して2週間経っても、部屋で綺麗に咲いていました」と萩生田氏は言う。「ケニアでの半年間の滞在を終えて帰国する間際になって、この美しいバラを日本で販売することはできないかという思いが湧き上がってきたのです」

そして、萩生田氏は、ケニアの花を輸入するビジネスを立ち上げる決心をした。輸出業者の少なさや最低ロット数の問題などがあり、現状では、ケニアのバラの日本への輸出は、ケニアのバラ総輸出量の1%にも満たない。しかし、萩生田氏は、日本で大きなマーケットを作り出せれば、ケニアでの雇用促進、貧困問題解決に役立てるのではと考えたのだ。

萩生田氏は、ケニア在住の知り合いに紹介された、ケニア人を雇用し、児童労働を課していないというバラ農園と直輸入の契約を結んだ。熱意が通じ、数百本単位の小ロットのオーダーも応じてくれた。

2012年10月に萩生田氏はオンラインショップ「アフリカの花屋」をスタートさせた。現在は500本〜1000本単位で月に1回ケニアから輸入し、販売している。購入した人には、その明るい色ともちの良さが非常に好評だ。

「まだ市場のデータ収集の段階ですが、徐々に販路を拡大してケリアの方々の雇用拡大に少しでも貢献できたらと思っています。ネット販売を中心に、ホテルや結婚式場などにも販路を広げていく予定です」と萩生田氏は言う。「花は人の心を豊かにします。ケニアの美しいバラを日本、そして世界中に広げたいです」



国境をスムーズに越える

アフリカでは、インフラや交通制度が十分に整備されていないため、人やモノがスムーズに移動することが出来ず、経済成長の足かせの一つとなっている。例えば、アフリカでは、物資を積んだトラックが越境するために、数日から数週間を要する場合もある。

こうした状況を改善するために国際協力機構(JICA)は、国境における「ワン・ストップ・ボーダー・ポスト」(OSBP)の整備を支援している。現在、アフリカの多くの国境では、国境を越えて物資を運ぶ時には、出国する国と、入国する国で、それぞれ出入国審査と通関手続き等が行われている。このように2回行われていた審査と手続きを、国境を接する二国の職員によって共同(1回)で処理するシステムがOSBPだ。JICAは主に3つの分野でOSBPを支援している。一つは、税関職員の地位確保、警察などの関係省庁の権限の規定などの二国間の合意の締結や、国内法の整備といった支援だ。そして、国境施設の建設、情報機器、国境監視のための車の供与などを通じたインフラ整備も支援している。また、日本の現役の税関職員を派遣し、税関職員や通関業者の人材育成も行っている。

JICAは、2007年からOSBP導入のための支援を始めた、南部アフリカのザンビアとジンバブエの国境、チルンドで、2009年にアフリカ初のOSBPとして運用を始めている。OSBP導入によって、チルンドでは、以前に比べ、越境にかかる時間が大幅に短縮したという。

チルンドに加えJICAは、現在、ルワンダとタンザニアの国境のルスモ、ケニアとタンザニアの国境のナマンガなど、東アフリカを中心に13箇所で、OSBPの支援を行っている。

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