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Highlighting JAPAN

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特集震災からの学び

震災の教訓を世界へ(仮訳)

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日本は、長い自然災害の経験から発達させてきた専門知識を、他の国、特に開発途上国の防災や復興のために役立てている。ジャパンジャーナルの澤地治が二つの事例をレポートする。

地震工学の国際的拠点

東京の郊外、茨城県つくば市にある建築研究所の国際地震工学センターは、国際協力機構(JICA)と政策研究大学院大学と協力し、地震災害軽減のために、開発途上国の研究者や技術者に対して研修を行っている。1960年以来これまで、研修を修了した研修員は98カ国から1580名を数える。研修員の中には帰国後、大臣、研究所長、大学教授として活躍している人も多い。

「このセンター以外に、定期的に、これだけの様々な国の人を、これだけ多数受け入れている機関は、世界にはありません」と安藤尚一国際地震工学センター長は言う。「講師の方々は、開発途上国の実情にも精通しており、何がそれぞれの国にとって役立つかを考えて教えています」

国際地震工学センターの研修で中心となっているのが、「国際地震工学研修」だ。この研修は、地震学コース、地震工学コース、津波防災コースの3つのコースに分かれており、約1年間にわたって研修が実施される。研修生は修士号の学位の取得が可能だ。

その他にも、2008年の四川大震災を契機として、2009年から中国人の構造技術者を対象に「中国耐震建築研修」を実施している。

昨年10月から、53回目となる国際地震工学研修が始まった。研修生は中国、インドネシア、トルコ、ニカラグアなど15カ国から21名が参加している。20〜40歳代の、各国で防災の責任を担う人材が中心だ。

研修は、視察、実習、講義、自らの研究の発表会などでカリキュラムが組まれている。視察としては、東日本大震災の被災地と、阪神・淡路大震災を経験した兵庫県の訪問も盛り込まれている。今回の研修生は、11月に、5日間にわたって宮城県仙台市と岩手県宮古市を訪れた。被災地では、被害現場の視察、津波の高さの計測といった実習、被災した自治体の関係者からの講義などの研修が行われている。

「国際地震工学研修は、理論と実践の両方を学べる点が非常に素晴らしいです。被災地の視察は、例えば、津波の力が、建物にどの程度の被害をもたらすかといった、災害被害の理論的知識を、実際にこの目で見て学習する、最も有効な方法の一つでした」と、研修生の一人、カスピ海の西にあるアルメニアの非常事態省西部地震防災調査所のNazeli Galstyan Grishaさんは言う。「被災地の視察後、私は地震工学の知識を得るために、さらに努力しなければならないと強く思いました。なぜなら、地震工学者は人の命を救うために非常に重要だということを、あらためて感じたからです」

今年2月には、研修生は東京臨海広域防災公園を視察した。防災公園には、災害時に、ヘリポートや救助や復旧のために派遣される人員のベースキャンプとなる広場がある。また、公園内の本部棟には、「防災拠点施設」と「防災体験学習施設」が建てられている。防災拠点施設には、災害時に国と関係都道府県による対策本部が設置される。「防災体験学習施設」の「東京直下72h TOUR」と名付けられた防災体験施設では、携帯型ゲーム機を使ってクイズに答えながら、地震発生から避難までをシミュレーションで体験できる。被災した市街地を再現した臨場感ある実物大のジオラマもある。

「これらの施設は、規模の大きさ、ジオラマのリアルさ、ゲームを使うというアイデアなど、驚きです。私の国でもこうした施設が絶対必要です」と南米のチリのバルパライソ大学のMauricio Reyes Gallrodo教授は言う。「防災のためには、災害に関する質の高い教育が重要だということを感じました」

研修の拠点となる建築研究所の国際地震工学センターでは、最新のデータを使いながら、講義や議論が行われる。東日本大震災の地震や津波のデータ、建造物への被害のデータは既に、研修でも活かされている。研修は約1年間であるが、後半の約3ヶ月は、研修生が個別のテーマを決めて、研究を行う。

「研修では、文化の異なる様々な国の人と出会うことができます。まさしく、世界がここにあるのです」とアフリカ東部のウガンダのエネルギー・鉱物開発省のJoseph Nyagoさんは言う。「母国に戻った後、日本で得た知識や経験を自国政府の防災対策の推進に役立てたいです。例えば、ウガンダでは山崩れの被害が深刻です。それに対して、政府が適切な対策を取れるようにコミットしたいです」


震災後の心のケア

2008年5月12日、中国四川省で発生したマグニチュード8.0の四川大地震は、被災者が約4600万人、死者・行方不明者8万人を超える大惨事となった。7000校以上の小中学校の建物が崩壊したことから、死者・行方不明の約1割が子どもを占めた。震災直後に日本は国際緊急援助隊を派遣、いち早く被災地に入り、救援活動を行っている。

震災は、多くの人に身体的のみならず、精神的に大きな傷を与える。震災後から、被災者のアルコール依存、うつ、外傷後ストレス障害(PTSD)といった症例が数多く報告されている。

「災害や事故による精神的な変調は誰にでも起こりうるものです。多くの人は自然に回復しますが、家族や友人の喪失、住居環境の変化、転職などにより、回復が遅かったり、時間が経過してから表面化することがあります」と国際協力機構(JICA)中国事務所の小田遼太郎氏は言う。「1995年の阪神・淡路大震災では、震災から4年目に心のケアを必要とする児童が最も多かったのです。それゆえ、中長期にわたる持続的なケアが出来る体制と人材育成が重要なのです」

JICAは四川大震災の後に、様々な支援活動を行っている。その一つが、2009年から2014年まで実施される「四川大地震復興支援こころのケア人材育成プロジェクト」(以下、「心のケアプロジェクト」)だ。JICAは、女性、児童、高齢者への支援を教育や福祉などの分野で支援を行っている非営利組織「中華全国婦女連合会」をカウンターパートに、5つのモデルサイトで、地域に根ざした適切かつ持続的な心のケアを可能とするシステムの構築を進めている。

人材育成については、日本、中国の専門家が協力し、現地と日本で、医師、教師、カウンセラーといった人々を対象に研修が行われている。また、地域に密着したケア体制も構築した。例えば、コミュニティーセンターで鍼灸やマッサージなど伝統医療とカウンセリングを組み合わせて行うことなどだ。また、心のケアに対する偏見や抵抗感をなくすために、イベントを通じた広報活動も展開している。

「中国では心のケアについて、その適切な対処方法が充分に知られていませんでした。震災直後、多くの団体がそれぞれに支援活動を行っていましたが、中には、誤った手法で心のケアが行われていたケースもありました」と小田氏は言う。「『心のケアプロジェクト』では、阪神・淡路大震災後の、心のケアの経験、教訓を活かし、心のケアが必要な人々に必要なケアが出来るように、心がけています」

阪神・淡路大震災では、心のケアを必要としている人であっても、それを自ら求める人は少ないということが専門家から指摘されていた。そこで、支援の時には、心のケアを前面に出さずに、例えば、看護師が血圧測定の時に、何気なく、不安や悩みを聞き出すといった対応が行われた。そうした対応は、「心のケアプロジェクト」にも取り入れている。 また、ケア従事者自身が被災しトラウマを抱えているケースや、ケア活動に専念するあまり燃え尽きてしまうケースもあることが分かった。そこで、「心のケアプロジェクト」では、ケア従事者に対してストレスマネジメントの講義を行うといった「支援者支援」を実施している。

さらに、阪神・淡路大震災後、被災地では、新たな災害に備える防災教育が活性化したが、それが、安心感といった子どもの心のケアにもつながることが明らかになった。そこで、「心のケアプロジェクト」においても、中国ではこれまであまり行われていなかった避難訓練などの防災教育を、学校で取り入れるようにしている。

このように「心のケアプロジェクト」が中国で進む中、2011年3月に東日本大震災が発生した。震災後、四川の子ども達からJICA中国事務所に、「私たちは遠く離れているけども、心は通じ合っています」、「災難に負けないで、勇気を出してがんばろう」といった激励の言葉が東北の被災者へのメッセージとして寄せられた。また、「心のケアプロジェクト」の研修の一環として、中国人研修生が東北の被災地を訪れ、関係者と議論する、あるいは、日本人専門家が東北での心のケアの活動を、中国に伝えるといったことも行われている。

「『心のケアプロジェクト』は今、阪神・淡路大震災、四川大地震、東日本大震災の被災者とともに復興の道のりを歩む、相互学習の場になろうとしています」と小田氏は言う。「中国も日本と同じ災害多発国。プロジェクトで育成した人材が、他の被災地を『助ける側』にまわる日が来るかもしれません」

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