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Highlighting JAPAN

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連載|日本の伝統を受け継ぐ外国人

禅との出会い(仮訳)

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人里離れ、冬には深さ数メートルの豪雪にもなる兵庫県の山奥に、世界中から修行者が訪れている禅の修行寺、安泰寺がある。その9代目住職を務めるのが、ドイツ人のネルケ無方氏だ。ネルケ氏の禅に対する想いを松原敏雄がレポートする。

安泰寺は「修行そのものが悟りである」という仏道を生活の中で実践している禅の修行道場である。修行者は田畑を耕して完全な自給自足を行い、共同生活を通した学びを続けている。安泰寺は元々が僧侶を目指す人のための修行寺だったが、2002年にネルケ氏が住職になってからは、一般の人々にも門戸を開き、世界中から修行希望者を受け入れるようになった。修行者の数は延べ1000人以上、その半分はヨーロッパを中心とする外国人である。

 1968年生まれのネルケ氏と禅との出会いは、16歳の高校1年生の時に遡る。7歳で最愛の母親を亡くしたネルケ氏は、「人はなぜ生きるのか」という自問に苦しみ続けていた。そんな折、高校にあった禅のサークルの先生に座禅を勧められたのがきっかけだった。

「それまでいくら考えても答えの出なかった生きることへの道筋が、直感的に禅にあると思いました。それまでは人間の体は単に道具にすぎないと思っていましたが、呼吸も心臓の動きも体の全てがそのまま私である、と感じたのです。もっと禅と仏道を勉強したいという願いは、ごく自然に芽生えたものでした」

 高校卒業後はベルリン自由大学へと進んで日本学を学び、1990年に京都大学に留学、大学卒業後の1992年に再び来日し、ネルケ氏は禅僧になるための本格的な修行を始めることになる。留学時も含め、ネルケ氏にとって修行の大半の場となったのが知人から勧められた安泰寺である。

 修行生活を送る上で大きな指針となった言葉が二つある、とネルケ氏は語る。一つは留学時に安泰寺を訪れた際に突如として言われた「安泰寺はお前が創るのだ」という住職の言葉、二つめは再来日後に、同じく安泰寺の先輩僧侶から厳しく言われた「お前のことなんか、どうだっていい!」という言葉である。

 前者は、安泰寺という確固たる存在があるわけではなく、安泰寺は一人ひとりが創り変化し続けることによって初めて存在する、という意味だ。後者は「私」という存在を完全に手放してエゴを忘れない限り、安泰寺を創ることも自分の人生を創造することもできないという意味である。一見矛盾しているように見えて、二つの言葉は表裏一体の関係にあることに気づいたとネルケ氏は振り返る。

「よく“座禅をして何になるのか”と質問されますが、答えはひとつです。座禅をしても何にもなりません。瞑想とは違って、座禅はただ座るだけです。悩みも望みも一切合切を手放して、自分をひたすら座禅の中に投げこみます。そうして“今、ここ、この自分”に気づき続けることが禅の学びなのです」

 2001年の秋から半年間、ネルケ氏は大阪城の敷地内にテントを張ってホームレス生活を続けながら、広く一般の人に座禅を体験してもらうための場を提供していたことがある。奥さんとはこの座禅道場を通じて知り合った。そんな矢先に安泰寺の住職が突然の事故で亡くなり、急きょ、ネルケ氏が9代目住職として安泰寺を引き継ぐことになったのである。これもまた運命的な流れだった。

 その後、ネルケ氏は12カ国語によるホームページを立ち上げる等、国を問わずに広く修行者を無料で受け入れ始めた。ホームページで綴った文は次第に評判を呼び、出版社からの依頼による自著もすでに4冊を数えている。

「いま、世界は大きく変わろうとしています。迎えるべき新たな社会への提言として、安泰寺が多文化共生のモデルになればと思っています。みんなで汗を流して自給自足の禅生活を共にし、文化の違いを受け入れながら懸命にコミュニケーションを図る。安泰寺での実体験を通して、そんな新たな共同体の土台となる絆を作っていければと思っています」

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