Home > Highlighting JAPAN > Highlighting JAPAN 2012年12月号 > 新たな風を吹き込む(仮訳)

Highlighting JAPAN

前へ次へ

特集日本を世界に発信する日本人

新たな風を吹き込む(仮訳)

English

世界には、地域に根付く伝統文化が数多くある。時に、そうした地域の伝統文化は、他の文化と融合することでさらなる発展を遂げる。スペインとボリビアで、「国境を越えた情熱」を持ち、日常の仕事に日本人としての感性を活かし、その国の伝統文化を育てる、二人のアーティストを紹介する。

ガウディの遺志を継ぐ

スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア贖罪教会はアントニオ・ガウディの代表的建築だ。バルセロナのシンボルとなっているサグラダ・ファミリアは1882年に建設が始まり、2020年代の完成を目指し、現在も工事が続けられている。このサグラダ・ファミリアの建設に直接関わる建築家、石工など計約200名の中で、最も長期間働いているのが、外尾悦郎氏だ。

外尾氏がサグラダ・ファミリアで彫刻家として働き始めたのは、1978年、25歳の時だ。以来、外尾氏は、時にはコンペを勝ち抜きながら、サグラダ・ファミリアから一つ一つの仕事を契約で請け負い、石を彫り続けてきたのだ。34年の時を経て、今年7月、外尾氏はサグラダ・ファミリアの正式な職員にようやくなった。 「『ずいぶん長い試験期間だったね』と、同僚に言われました」と外尾氏は笑う。「ただ、いつも試験をされているという気持ちで仕事を続けてきました。外国人である自分が仕事を任されるためには、スペイン人以上の仕事をしなければならないからです」

外尾氏は、サグラダ・ファミリアの数々の彫刻を彫ってきたが、その中の代表作の一つが、サグラダ・ファミリアのファサード(正面)である「生誕の門」に飾られている15体の天使の像だ。17年の歳月をかけ、2000年に完成したこの天使像は、「天使たちは、石から掘り出されるのを待っていた」と称賛された。

この彫刻には日本人だからこそという工夫もされている。15体の天使のうち、6体は楽器を奏でている天使で、9体は子どもの天使の合唱隊だが、合唱隊の天使の中で、東方向を向いている2体の天使は、東洋人の顔をしている。

「天使がみんな、西洋人の顔をしていたら、おかしいでしょう」と外尾氏は言う。「東洋にも天使がいなければならないのです」

現在、外尾氏が取り組んでいるのが、15体の天使の像が飾られた「生誕の門」に取り付ける3つの「扉」の製作だ。この扉のデザインのコンペには、7名の地元出身の彫刻家も参加した。外尾氏のデザインは、その中から選ばれた。

サグラダ・ファミリアの設計図はスペイン内戦(1936-1939)によって焼失、模型も粉々に破壊された。それゆえ、細かい部分のデザインは現在、ガウディの思想をベースに、現役の建築家・彫刻家の創造力によって生み出される。「生誕の門」の扉のデザインについても、ガウディの指示は何も残されていない。

扉のコンペでは、地元の彫刻家は、扉のデザインとして、ヨセフ、マリア、イエスのレリーフを提案していた。しかし、外尾氏は、ツタ、葦、アヤメ、野バラといった草木や花、そして、そこにテントウムシ、イモムシ、クワガタなど様々な虫がいるデザインを提案したのだった。外尾氏は、「生誕の門」の全体に彫られている物語、そこにある動植物の彫刻の意味を考え、さらに、この地域に住む植物や昆虫といった自然を実際に観察することで、扉のデザインを決めたのだ。

「ガウディばかりを見ているだけでは、ガウディの単なる真似になってしまいます。新しいものを作るためには、ガウディが見ている方向を見ることが大切なのです」と外尾氏は言う。「ガウディは自然から学ぶ、自然を尊重するという思想を持っていました。そうした思想を、この扉に表したのです」

外尾氏は、5メートルの高さのこの扉を、一枚のブロンズ板で作ろうとしている。通常、これほど大きいブロンズ板を1枚で作るのは非常に難しいが、外尾氏は、砂を真空ポンプで減圧して鋳型を作る「Vプロセス鋳造」という日本企業が開発した技術を使い、それを実現させようとしている。さらに、扉の表面の着色は、地元スペインの技術を活用したいと考えている。

「2013年は日本とスペインの交流が始まって400周年という記念すべき年です」と外尾氏は言う。「この扉を、日本とスペインの友好の象徴としたいのです」


フォルクローレに魅せられて

フォルクローレは、ラテン・アメリカの伝統的な民族音楽である。サイモン&ガーファンクルが演奏したことで有名な「コンドルは飛んでいく」もフォルクローレだ。そのフォルクローレの本場であるボリビアで高い人気を誇るフォルクローレバンド「ANATA BOLIVIA」のリーダーを務めるのが、日本人ミュージシャンの秋元広行氏である。

秋元氏は、大学生の時にフォルクローレに出会い、その虜となった。

「最初は、ケーナ(縦笛)の音色に惹かれました。日本の伝統的な笛である尺八にも似たような音色で、なんとなく懐かしく、それでいて新しい印象を受けました」と秋元氏は振り返る。それからは、自身でもバンド活動を行い、徐々に本場のフォルクローレを学びたいという思いが募り、大学卒業後の2000年、22歳の時にボリビアに渡った。

ボリビアでは、首都のラパスで、フォルクローレの著名なミュージシャンであるフアン・カルロス氏の元で学び始める。カルロス氏から、秋元氏はリズムの取り方、音の出し方などフォルクローレの基礎を徹底的に指導された。さらに、秋元氏は、基礎が大切と考え、フォルクローレの名曲を1年で100曲覚えた。

「あるときカルロス先生から、『他人の曲をやるのもいいが、音楽は自分の中にあるものを表現するものだから、型にはまる必要はないんだよ』とアドバイスされました」と秋元氏は言う。「そのときから形式にこだわらず自分なりのフォルクローレというものを考え始めるようになりました」

やがて、秋元氏のギターテクニックや歌唱力が認められるようになり、スタジオミュージシャンとしてレコーディングに参加したり、様々なグループのメンバーとして演奏するようになる。そして、2005年に「ANATA BOLIVIA」を結成、自らリーダーとなった。「ANATA BOLIVIA」の「ANATA」は日本語の「あなた」と、現地のアイマラ語の「祭り」を掛けている。メンバーは7名。秋元氏を除けば全てボリビア人だ。20歳代から50歳代までの幅広い年齢層のミュージシャンで構成されている。秋元氏は、ボーカル、ギターの他、作詞・作曲も手がける。

2009年には、「ANATA BOLIVIA」はボリビア音楽界のグラミー賞と言える「シコンボル」で、「ベストアルバム賞」、「ベスト・ボーカル楽曲賞」、「最優秀作品賞」という3部門にノミネートされた。

秋元氏は、日本語の美しさをフォルクローレで表現したいという思いから、日本の曲をフォルクローレ調にしたり、フォルクローレの楽器で演奏したりもする。秋元氏が日本語で歌う、日本のポップミュージックやフォークソングは、現地の人々にも人気だ。「演奏後に、『あなたのような日本人が、われわれの音楽を演奏してくれてありがとう』とエールを送ってくださる人が多くいます」と秋元氏は言う。

また、秋元氏は、ミュージシャンとして活動するかたわら、ラパスで楽器店を営んでいる。さらには、現地の子どもたちに向けた、フォルクローレの演奏のボランティア活動も行う。そのきっかけは、秋元氏が所属する文化団体の活動の一環として、ラパス市の小学校を訪れたことだ。「人生の目的とは」「平和」など、講義形式で堅めのテーマを子どもに教える活動だったので、気分転換のために、途中でフォルクローレを歌ったところ、子どもが大喜びしたのだった。それ以来、秋元氏は、これまで100校以上の学校で、フォルクローレや日本の歌を披露している。

「ボリビアの子供はあまりフォルクローレを聞かなくなってきており、外国人である日本人から教わることでその価値、多様性を改めて知るようです」と秋元氏は言う。「2010年と2011年には、日本など海外で公演をしました。今後、ボリビアフォルクローレの代表として、ANATA BOLIVIAを世界に通用するグループにしたいです」



赤外線でがんを消す

アメリカの国立衛生研究所の小林久隆主任研究員が、健康な細胞にダメージを与えずにがん細胞を殺す治療法を開発した。


「国が支援した研究所と大学において、健康な細胞には触れずに、がん細胞だけを殺す、新しい治療法が開発されました」

2012年1月、オバマ大統領は一般教書演説で、革新的ながん治療法をこう紹介した。この新しい治療法を開発したのが、アメリカの国立衛生研究所 (NIH) の小林久隆主任研究員が率いる研究チームだ。

「一般教書演説で私たちの研究が紹介されるとは全く知りませんでした」と小林氏は言う。「一般教書演説の直ぐ後に同僚から教えてもらい、初めて知りました。非常に嬉しかったですね」

今回、小林氏の研究チームが開発したのは、近赤外線をがん細胞に当て、健康な細胞を傷付けずにがん細胞だけを消すという方法で、2011年11月に研究結果が発表された。

がん治療には、がん細胞を取り除く外科手術の他に、放射線照射や抗がん剤による治療がある。しかし、こうした治療はがん細胞だけではなく、健康な細胞も傷付けるために副作用が大きい。そこで、小林氏の研究チームは、人体に当てても全く害を与えない近赤外線を使ったのだ。

それではなぜ、近赤外線でがんを消滅させることが可能なのか。それは、がん細胞だけに結合する抗体に、近赤外線を当てると瞬間だけ発熱する化学物質を取り付けて、がん細胞表面に直接送り届けるからだ。例えるなら、小さなダイナマイトをがん細胞に付け、近赤外線という光で、ダイナマイトを引火させ、がん細胞の細胞膜を破裂させて殺すということだ。生体や臓器の中で細胞が肉眼で見えない、あるいは、がん細胞が複数箇所に散らばっている場合でも、治療が可能になる。

マウスを使った実験では、がんを移植したマウス10匹に抗体を注射し、近赤外線を1週間に2回、計8回照射すると、8匹のマウスからはがんはほとんど消え、再発もなく1年以上生存した。

発表した後の反響は大きかった。アメリカの大手メディアに紹介され、小林氏のもとには、世界中の友人、研究者、企業などから返信できないほど多数のメールが寄せられた。

「今回の研究は、様々な治療やバイオテクノロジーに役立てることが出来ます」と小林氏は言う。「例えば、先日、ノーベル賞を受賞した山中伸弥京都大学教授が開発したiPS細胞です。今回の治療法を使えば、より安全にiPS細胞を再生医療に使えるようになります」

小林氏は現在、この近赤外線によるがん治療の2年以内の臨床実験を目指し、準備を進めている。


がんを光らす

小林氏は1980年代後半から1990年代初めにかけて、京都の病院で放射線医として約8年間、働いた経験を持つ。そこで、数多くのがん患者の治療にあたった。しかし、当時は、現在に比べ、有効ながん治療の手段がまだ十分とは言えなかった。

「その頃、治療を受けていたがん患者の多くを、残念ながら助けるこが出来ませんでした」と小林氏は振り返る。「そうしたこともあり、がんを治すために何かしたいと強く感じたのです。そのために、何か今までにない方法を研究しなければならないと思い、がん治療の研究を始めました」

そして、1995年にアメリカに渡り、がん研究で世界最先端の国立衛生研究所で研究職に就いたのだ。

近赤外線でのがん治療と並び、小林氏が2011年、上げた大きな成果に、がん細胞を光らせる蛍光試薬の開発がある。これは、東京大学の浦野泰照教授との研究成果で、がんの存在が疑われる部分にこの試薬をスプレーすると、約1 分でがんの部分だけが光るのだ。これにより、これまでPET、MRI、CTを使った検査でも見つけられなかった、直径1mm以下の小さながん病巣も見逃すことはなくなる。この試薬を使った検査は、2年以内に、臨床が行われる予定だ。 「自分は研究者であり、かつ、医者であるという自覚は強くあります」と小林氏は言う。「私が医師として働ける間に、自分が開発した治療法や検査法を実用化につなげて、一人でも多くのがん患者を救いたいです」

前へ次へ