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Highlighting JAPAN

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連載|やまとなでしこ

町工場のプリンシパル(仮訳)

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東京大田区には約4,000の工場があり、日本を代表する製造業の集積地となっている。そのほとんどは、従業員10名以下の小さな規模であるが、世界的な技術を持つ工場も少なくない。そうした高い技術を持つ工場の一つ、精密金属加工のダイヤ精機(社員数38名)の諏訪貴子社長は、大田区の工場の女性経営者として、政府の会議やメディアを通じ、大田区の製造業の現状や将来について積極的に発言をしている。ジャパンジャーナルの澤地治が諏訪氏に話を聞いた。

──ダイヤ精機は1963年に、お父様である諏訪保雄氏が創業されました。子どもの頃、記憶に残っていることはありますか。

諏訪貴子氏:私たち家族は工場の2階に暮らしていた時期もありましたので、私は油の臭いや機械の発する音を聞きながら育っています。母親が私の面倒を見られない時、父親の車に乗ってしばしば会社の取引先を訪れました。そうした取引先の駐車場で一人遊んだことを憶えています。

兄が幼いときに亡くなったので、高校の頃から、自分が将来会社を継ぐことになるのではと思っていました。大学は父親の薦めで工学部に行き、卒業すると大手の自動車部品製造会社にエンジニアとして2年ほど勤めました。

──お父様が急死されて、お嬢様である諏訪さんが、ダイヤ精機の社長を引き継がれました。女性経営者として心掛けていることはありますか。

自動車部品製造会社を退職後、父の会社に入社しました。当時の私は、会社の不採算部門はリストラすべきだと考えており、父親にそう進言したところ、逆に自分が解雇されてしまったのです。リストラをすれば、その分の利益が生み出せることは明らかなのに、そうしない父親を全く理解できませんでした。父親は、なによりも社員の雇用を守りたかったのです。

その後、2004年に父親が急死した時、私は会社から退いていたのですが、社員からの強い要請があり、父の跡を継ぐことになったのです。会社の経営には、自らの主婦業で養った経済観念が役立っていると思います。また、会社では、母親のような役割をすることを心がけています。例えば、新入社員には、入社後1ヶ月間、私と「交換日記」をしてもらいます。毎日、何をしたか、何を考えたかを書くことにより、社員も自分の成長を確認できますし、管理者として、私も社員個人の管理ができるからです。

──ダイヤ精機ではどのようなものを製造しているのでしょうか。

「ゲージ」を造っています。自動車のエンジンなどの精密機械の部品は、ミクロン単位の精度が要求されます。その部品が、ミクロン単位の精度で製造されているかを検査するための道具がゲージです。例えば、エンジンのピストンを造るために、50以上のゲージが使われています。当然、そうしたゲージ自体もミクロン単位の精度がなければなりません。こうした超高精度のゲージを造ることは機械だけでは不可能です。最終段階では、手作業で磨きをかけて誤差を修正し、手の感覚で確認をするのです。熟練社員は、1ミクロン、つまり千分の1ミリの誤差を手で触って判断することが出来ます。そうして造られた自動車が世界中で走っているのです。

昨年9月、野田佳彦総理が会社に視察にいらしたのですが、その時に、この社員の話をしますと、総理は「神の手ですね」とおっしゃっていました。こうした技術は日本の製造業が培ってきた世界に誇れるものです。若い社員も「自分達がそうした技術を継承しなければ」と強い思いを持っています。

──日々、社長の重責は大きいと思いますが、諏訪社長のリフレッシュ方法を教えてください。

30代から始めている、クラッシックバレエです。社長に就任した頃、たまたまスポーツクラブで、大人向けのクラッシックバレエのクラスを見たのです。子どもの頃、クラッシックバレエにあこがれていたのですが、大人になってからも始められるということを知って、通い始めました。今、少なくとも週3回はレッスンを受けています。工場とはまったく違う場所で、仕事を忘れてバレエをすると、気分がリフレッシュされるのです。今では、バレエをすることが、心の支えになっています。

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