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Highlighting JAPAN

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特集震災から1年:被災地で活躍する外国人

塩釜の塩でスイーツ(仮訳)

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パリで出会った日本人女性と結婚し、宮城県塩釜市でフランス菓子のお店を営むバンサン・ドロメールさんは、震災後、一時帰国したが、「本当の幸せ」を求めて塩釜市に戻ってきた。山田真記が報告する。

パリでお菓子作りの修行に励んでいたバンサン・ドロメールさんが、フランスでパン作りの修行をしていた田所慶子さんと出会ったのは2004年のことだ。二人は翌2005年に結婚し、2009年に塩釜市にやって来た。

「塩釜は美しい海に面したとてもきれいな町で、妻の出身地である仙台にも近い。それで住まいを塩釜に決めたのです」とバンサンさんは話す。2010年4月、二人は市内の空き店舗を利用してフランス菓子店「りんごの木」をオープンさせた。

バンサンさんが作るフランス菓子の特徴は、塩釜産の非常に良質な塩をその味付けに使っているところにある。塩釜は平安時代(794-1192)から塩作りが盛んで、塩釜とは海水を煮て塩(shio=salt)を作るかまどの意味だ。塩釜の塩は、まろやかで少し甘みがあるのが特徴だ。

「何か地元産のものをお菓子作りに生かせないかと考えていた時、地元の方から塩釜の塩を教えてもらったんです。お菓子を作る過程で塩を加えることで、甘みが引き立ち、味に深みが生まれ、食感も独特のものになります」とバンサンさんは言う。特に人気のある商品はシュークリームで、これにももちろん塩釜の塩が入っている。

東日本大震災の時、塩釜市には2mを超える津波が押し寄せ、多くの家が流された。幸いバンサン氏のお店は高台にあったため、30cmほどの浸水はあったものの津波による大難は逃れた。しかし、母国フランスから退去通知の知らせがあり、バンサンさんは家族と共に一旦パリに帰った。

「パリの両親は当然、もう日本に戻ることはないだろうと思って、私たちが住むアパートまで探してくれました。でも2ヶ月後、私たちは塩釜に帰ることを決めたのです。自分にとって幸せとは何だろうと考えた末、やはり塩釜のお店を続けて、地元の皆さんに喜んでもらうことが本当の幸せなんだと思い至ったのです」。

2011年5月に塩釜に戻り、お店を再開すると、地元の人達から「お帰りなさい」「帰ってきてくれてありがとう」といった言葉をかけられた。再開を祝して花を届けてくれた人もいた。その時点で、食材を集めることも、生活することも特に大きな不便は感じなかった。

「地元の皆さんがお店の再開を歓迎してくれて、すごく嬉しかった。みんなのために、この店を続けていくことを決心しました」とバンサンさんは言う。

お客さんが3人も入れば窮屈になる狭いお店だが、14種類のマカロンや、リンゴパイ、タルト・タタンなど伝統的なフランス菓子約30種類が、所狭しと店内に並び、震災前と変わらない多くのお客さんで賑わっている。

バンサンさんは、これまで以上にお客さんに喜んでもらうために、そして、町の復興のために、より美味しいお菓子作りに日々打ち込んでいる。

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