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Highlighting JAPAN

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樂美術館(仮訳)

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京都の樂美術館は、15代続く著名な樂焼の陶芸家の家であり作業場である。樂美術館をジュリアン・ライオールが訪ねた。

日本の伝統的な茶道の完成された所作には、たくさんの複雑な動作がある。その正しい動きとタイミングをすべてマスターするのには何年も要する。そして、茶道の大切な構成要素のひとつにも、同様の神経を行き届かせる。それはおそらく、精巧な儀式において必要とされる最も重要なものであろう。

茶道のための非の打ち所のない器を製作する仕事は、何世紀もの間続いてきたもので、それは15代目の職人である樂吉左衛門によって引き継がれ、独特な樂茶碗が作られている。

樂吉左衛門の工房と住居は京都中心部、昔の御所の西からほど近いところにあり、併設されている美術館には、樂焼の最重要作品の一部が展示されている。美術館には、茶道具、樂焼の食器類、伝統ある400年の歴史に独特な洞察を与えてくれる巻物やその他の文書が収蔵されている。

「釉薬を塗った陶器は16世紀に京都で興ったものですが、樂焼はその草分け的な役割を果たしました。樂長次郎が製作した樂茶碗は、京都の文化と流行に対する美意識を、形、釉薬の塗り、色の中で具現化しています。」と樂美術館学芸員の井上由氏は言う。「樂茶碗は装飾的必要性からではなく、哲学的なひらめきから生まれたという点で、他に類のないものと言えます」と井上氏は言う。「文化的な交流と洗練さの中心であった京都が、この独特の形式を持った陶器を誕生させる刺激となったのです。」

この美術館は、まるで訪れる者が茶室のある敷地内に入ったかのように感じさせる巧妙な作りとなっている。

入り口部分には引き戸があり、竹と、季節と共に色を変化させるモミジが植えられた伝統的な作りの庭園が見える。それは穏やかで調和の取れた景色だ。周囲が苔で覆われた踏み石に従って進むと、石でできた井戸があり、竹を割って作った蓋がかぶせてある。庭の塀の向こうでは、400年間ここに居を構える樂家、当主樂吉左衛門が傑作となる最新作に取り組んでいる。

樂焼の歴史は16世紀末にまで遡る。当時、千利休が樂家初代長次郎に茶の湯のための椀の製作を依頼した。利休は1500年代の茶道の家元であり、侘茶という精神的に深遠な茶道の様式を完成させた。

長次郎が1580年代初頭以降製作していた赤と黒の樂茶碗は、利休の美意識と、簡素、控えめ、不完全さの理想化とを凝縮させたものである。

樂茶碗には数多くの際立った特徴があり、そのひとつはろくろを使わずに手作業で作られるということである。樂茶碗のこの製法は、手捏ねという名称で知られ、手でこねるという意味があり、樂家ならではのものである。

また、茶碗は大量に焼くことはなく、独特の小さな窯でひとつひとつ焼かれるのも、樂家独自のやり方だ。用いられる粘土は可塑性が高く、焼くと、特有の温かみと柔らかさが出る。

樂家には、初代長次郎以来、歴代によって受け継がれてきた1,100点程の作品からなるコレクションがある。それらは美術館で公開され、年に4回展示替えが行われる。手にふれる鑑賞会も時折開催され(次回は3月4日開催)、来館者は茶碗に対する理解と鑑賞眼を深める機会へと誘われる。

3つのギャラリースペースに展示物をシンプルに置いているが、作品が自ら語りかけてくるのが感じられる。

松の若枝をデザインした赤い樂茶碗は、1700年代の七代樂長入作で、彼が好んだ厚みのある様式となっている。かたや、その近くにある十代旦入による作品は、京都の新年を告げる太鼓の演奏者をモチーフとして、手の込んだデザインを用いている。

茶碗の多くは、過剰なデザイン性とは対極的な造形性によって制作され、器自体の簡素さと独特の雰囲気が魅力となっている。「霜柱」という名がついた筒型の茶碗は、背が高く、細長い形である点で珍しいが、うっすらとかかった釉薬にてかりがあることから人目を引く。 1700年代の前半に活躍した六代左入による別の作品は、淡赤色で、真ん中部分が絞られていることで、陽気な女神であるおたふくのぽっちゃり顔を思い起こさせる。

デザインは、瑞々しい草から魚の鱗や梅の木、柳の枝までと、独創的かつ独特であるが、個人的に好きなのは、1900年代半ばの十四代覚入による3つの椀からなるシリーズである。まごうことなき輪郭の富士山から太陽が昇る3つの段階を描いたものである。

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