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Highlighting JAPAN

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特集東北~震災から半年を迎えて

世界文化遺産、平泉(仮訳)

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2011年6月25日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」を、世界文化遺産に登録することを決定した。

岩手県の平泉は、武将一族である藤原氏が12世紀に本拠地を構え、4代約100年にわたって栄えた。その平泉の中核的存在が、今回、世界文化遺産に登録された中尊寺だ。中尊寺は、平泉の繁栄の基礎を築いた藤原清衡(1056-1128)によって造営された。清衡は、戦乱によって父、妻子を失うという経験をしたことから、戦乱で亡くなった人々を敵味方の別なく慰め、現世において、戦乱のない平和な社会を築くという理念のもと、中尊寺を造営した。中尊寺の造営は1105年から四半世紀にわたって行われ、その規模は寺塔40、僧の宿舎300におよんだと伝えられている。その後、清衡の子基衡(1105?-1157)、孫の秀衡(1122?-1187)もその理念を受け継ぎ、やはり、世界文化遺産に登録された毛越寺、無量光院を建立した。

今回、この中尊寺、毛越寺、無量光院跡に加え、観自在王院跡、金鶏山の5箇所が、世界文化遺産に登録されている。登録の理由は、藤原氏の理念の基調となった浄土思想の考えに基づいて造られた寺院や庭園が一群として良く残されているということだ。浄土思想とは、現世の安寧を願うと同時に、死後に仏の居所である浄土への往生を願うという仏教思想の一つである。

そうした平泉の浄土思想を表す代表的な建築物の一つが、1124年に完成した中尊寺の金色堂である。金色堂は中尊寺金色堂覆堂の中に収められており、中尊寺が建てられた当時から残る唯一の建造物だ。建物の内外には金箔が貼られ、夜光貝の貝殻で作られた飾り、透かし彫りの金具、漆の蒔絵などが施されている。

「金色堂の細工の細やかさは、藤原清衡の信仰に対する熱意を表しているのだと思います」と中尊寺の僧侶は言う。「金色堂は900年前の建築、美術が、そのまま残っています。皆様には、そこから日本的な美意識を感じて欲しいです」

平泉では、3月の東日本大震災による直接的な被害はなかったものの、訪れる観光客は一時、激減した。しかし、世界文化遺産の登録以降は増加しつつあるという。

「東北の復興に貢献したいと思い、東北各地を旅行しています」と、家族4名で東京から平泉を訪れていた女性は言う。「黄金に輝く金色堂はとても美しかったです。平和な世界の実現を願う当時の人々の気持ちを感じることができたような気がします」

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